MUJI×UR 団地リノベーションプロジェクト
団地ハイキング「多摩ニュータウンを歩こう」

※このレポートは、2015年11月29日に都内で開催されました、「団地ハイキング『多摩ニュータウンを歩こう』」の様子を採録しています。

門脇
まず多摩ニュータウンがどうやってできたのかお話したいと思います。

多摩ニュータウンは集合住宅団地ですが、近代以前の集団住居は、血族や貴族など、住む人が特定の集団に属するものでした。しかし19世紀以降の集合住宅は、原則として誰でも入居できることが特徴です。このような近代的な集合住宅は、近代的な都市の成立が影響しています。
近代化は産業革命によって始まりますが、産業革命は労働人口の集中を要請します。その際に生まれた住居形態が集合住宅です。

人が高密に住むと居住環境は悪くなりますが、しかし高密さと居住環境の豊さをいかに両立させるかが集合住宅の長年の課題でした。ヨーロッパには集合住宅は昔からありますが、日本で一般化したのは1955年以降。URの前身である日本住宅公団が集合住宅の一般化に貢献しました。

それ以前にも、同潤会アパートなど有名な集合住宅はありましたが、同潤会アパートは数としては5000戸と少なかったのです。1955年に日本住宅公団が成立し、集合住宅はようやく庶民のものとなり、同時に大量に建設されていきました

初期の集合住宅の容積率をみてみましょう。容積率とは、住宅の述べ面積を土地の面積で割ったもの。この時代は70~80%で、戸建て住宅とさほど変わりません。皆さんがみた多摩ニュータウンもだいたいこの程度です。
門脇
この時代の集合住宅は、それぞれの住戸が階段に面しています。なぜこのようなものができたかというと、日当たりと風通し。いまの集合住宅は廊下がありますが、廊下があると窓があけられない。当時はエアコンがありませんでしたので、夏に南北の窓を開けて涼を得るためにこのような形になったわけです。
当時はエレベーターもないですし、人力であがれる5階建ての住棟が主流でした。

80%の容積率なので、オープンスペースは豊かです。冬至の日でもどの住戸も4時間以上の日照が確保できるようになっています。現在では樹木も生長し、まるで森の中に住んでいるようですね。
門脇
ところがこういった団地の評価は短期間で大きく変わります。
60年頃の朝日新聞に、当時の皇太子ご夫妻が団地の視察に来て、人々が熱狂しながら迎えている写真が載っています。団地は先進的な住まいとして好意的に受け止められていたわけです。ところがわずか10年後、ウルトラマンタロウの戦闘シーンでは、破壊の対象として団地が登場しています。つまり70年頃になると、団地はネガティブに捉えられているのです。

なぜかというと、同じ住宅がコピー&ペーストされたようにつくられたことに問題がありました。石川さんが説明されたように、野山を切り開いて同じ住まいを大量につくると、若い世代の人口が急激に増加します。そうなると小学校も大量につくらねばならず、自治体の財政を圧迫してしまいます。つまり、団地は地域の人口構造を大きく変えてしまい、さまざまな歪みをもたらしたのです。

同じ形式の住宅が反復すること自体への嫌悪感もありました。たとえば自分が寝ている同じ場所の上、あるいは下に、同じように人が寝ている。これは日本人にとっては始めての経験で、気持ちが悪いものだったと思います。

しかし、技術の進化はとどまることを知らず、70年以降は集合住宅が高層化していきます。大きな要因はコンクリートをつくる技術が向上したことですが、エレベーターも発達し、高層団地が一般的になっていく。容積率は200~250%に跳ね上がります。
門脇
また、高層住棟の成立には、設備的の進化も欠かせませんでした。日本の集合住宅は、住戸ひとつひとつにお風呂がついているのが特徴で、そのためには住宅のなかでボイラーを燃やさなくてはなりません。しかし室内でものを燃焼させるのは危険ですから、初期にはバランス釜という潜水艦の技術を転用したボイラーが導入されました。潜水艦も密閉された室内でエンジンを廻すので、燃焼のための吸気と、それによって汚染された空気の排気が課題だったのですね。ところが技術が進み、バルコニーに置くことのできるボイラーが登場します。ここにはターボの技術が応用されました。

また、それまで浴室はアスファルト防水という工事をしていましたが、これが非常に面倒だった。しかし、樹脂系の材料でお風呂がつくれるようになり、面倒な工事はなくなります。いわゆるユニットバスの登場です。
さらに、それまで水廻りには換気のために窓をつくらなくてはならなかったのが、機械の力で換気ができるようになりました。
こうした技術の登場によって、集合住宅の中での生活は、快適さを機械の力によって担保するように変わっていきます。

さらに、90年以降は超高層集合住宅が建つようになります。容積率は400%から500%。今日ご覧になった団地の5倍以上も高密です。
門脇
超高層の集合住宅の平面図をみてみると、南向きは少なくなり、あらゆる方角を向いた住宅が生まれていることがわかります。これには構造的な理由もありますが、南向きの住宅を減らすと、全体として住宅がたくさん詰め込めるということもあります。
住宅を高密に詰め込むと、窓をたくさん取ることも難しくなりますので、窓をつくれない場所は水廻りにしたりウォークインクローゼットにしたりします。つまり、高密になればなるほど住宅は外の環境と切れていくのです。しかし、超高層住宅では南を向いていることよりも、夜景がきれいな方向に向いていることに価値があったりするので、「豊かな環境」という意味自体が時代とともに問い直されているといっても良いでしょう。

ちなみに団地ができた頃は、重工業が盛んな時代です。重工業は街が汚れるので、団地はそこから離れて計画されます。このようにして働く場所と住まう場所は分離されていくのです。

そうなると、日本人の家族形態も変わっていきます。都心は働く場所、郊外は住まう場所というふうに、都市が地域ごとに役割分担をはじめると、通勤という行為が必要になります。毎日片道一時間かけて働く場所に行かなければならないとなると、子育てはとてもできません。そこで、専業主婦という概念が生まれるわけです。都市が役割分担をするのと同じように、家族も役割分担していくんです。

ところが、社会がさらに発展すると、都心はきれいになっていきます。それは重工業が知的産業になっていくからです。産業のソフト化という減少ですね。そうなると重厚型のインフラは不要になります。
これはニューヨークの「ハイライン」という事例で、不要になった貨物線を都市公園に転換させたものです。工業的なインフラが、知的刺激が受けられる公園に読み替えられているというわけですね。こうした事例は、世界中に見つけることができます。

ニューヨークの「ハイライン」

門脇
韓国では、高速道路がかかっていた川から高速道路を撤去して、親水公園に変えた「チョンゲチョン」という川があります。

チョンゲチョン(ソウル)

門脇
あるいは都心のオフィスビルを集合住宅に変えるという動きも出てきています。
逆に郊外では、シャッター商店街にコミュニティカフェやシェアオフィスが生まれたり、団地にSOHO(Small Office/Home Office)ができたりといった動きを見つけることができます。象徴的なのは、リヨンにある「工業都市」という団地です。

シャッター商店のコミュニティカフェとしての活用

門脇
「工業都市」は、重工業の時代の住宅像を追求したもので、日本の団地のモデルになりました。トニー・ガルニエという建築家が構想したものですが、最初はアイデアにとどまっており、ドローイングが描かれたのみでした。その後、この構想が認められ、実現したのがこの団地ですが、壁面にはガルニエのドローイングが転写されています。なぜかというと、この団地はいまでは美術館としても使われているんですね。現在も住まわれている団地の壁面にアーティストの作品などを転写し、休日になるとたくさんの人が絵を見に訪れます。つまりここでは、団地の用途と美術館の用途が重なっているというわけです。

トニー・ガルニエ《工業都市》

門脇
最近は役割分担されていた都市と郊外がもう一度混ざろうとしています。その提唱者であるガルニエの団地さえも、単に住むだけの場所ではなくなっている。これは世界の成熟した都市で起きている現象ですが、日本でも顕著です。おそらく今日の永山団地でも、そうした動きが少し感じられたのではと思います。たとえば、働く場所や子育ての拠点を団地内につくる動きが永山でも進んでいます。
川内
ありがとうございます。職住が分離してまた戻っていくという動きになっているという話。よくわかりました。MUJI×URでは、現在は一つの住戸だけを扱っていますが、職住に関わる領域をやってみたり、暮らしと仕事を近づけていく、そういった取り組みをやってみたいと思っています。
時間になりましたが、もし先生に質問があれば。
参加者
(諏訪団地の建て替えについて)奇跡的に建て替えがうまくいったというのはどういう意味ですか?
門脇
日本は財産権が憲法で保障されているので、たとえ公共的な理由があっても、誰かの所有物を壊すということがたいへん難しい国です。分譲マンションは、内装は居住者の所有物ですが、構造体は居住者全体が共同所有しています。したがって、共同所有物である構造体は、反対する人が一人でもいると原則として壊せません。だから建て替えが難しいのですね。建て替えは、たとえば建て替えによってより大きなマンションが建てられるなど、権利者全員が損をしないなどの条件でないとなかなか成立しません。

そういう意味では諏訪団地は恵まれていて、もともとの容積率が少なかったので、より大きなマンションが建てられましたし、立地も駅から近く、売れるという見込みが立った事例です。もう少し駅から離れてしまうと、難しかったかもしれません。
参加者
ありがとうございます。
川内
今日は天気に恵まれ、皆さんと一緒にまわれてよかったです。改めて先生方に拍手をお送りください。ありがとうございました。