MUJI×UR 団地リノベーションプロジェクト 大学トークセッション vol.4 千里青山台団地・大阪大学
「団地の屋外空間の魅力」~藤村龍至氏× 木多道宏教授× 阪大生による千里青山台団地を歩こうツアー~」
※このレポートは、2014年2月1日に千里青山台団地・大阪大学で行われた、トークセッションを採録しています。
スピーカー:
藤村 龍至氏
東洋大学建築学科専任講師 / 藤村龍至建築設計事務所代表
1976年東京生まれ。2008年東京工業大学大学院博士課程単位取得退学。2005年より藤村龍至建築設計事務所主宰。2010年より東洋大学専任講師。2007年よりフリーペーパーROUNDABOUT JOURNAL』企画・制作・発行。2010年よりウェブマガジン『ART and ARCHITECTURE REVIEW』企画・制作。
スピーカー:
木多 道宏氏
大阪大学大学院工学研究科教授。同大学大学院工学研究科建築工学専攻修士課程修了、株式会社日建設計、大阪大学工学部建築工学科助手等を経 て、2012年より現職。 専門分野は建築計画・都市デザイン。集落・都市・ニュータウンにおける「地域文脈」を継承した計画とまちづくり、中東欧における都市形成・都市デザインなど。日本建築学会奨励賞受賞(2000年)。
スピーカー:
土谷 貞雄氏
無印良品「くらしの良品研究所」コーディネーター。HOUSE VISION、デベロッパー、家具メーカーなどの業務支援も数社おこなっている。中心となる業務はWEBを活用したアンケートやコミュニケーションの仕組みづくり、コラムの執筆など。
- 土谷
- 無印良品くらしの良品研究所の土谷と申します。ツアーはいかがでしたか?楽しかったですかね。こんなにゆっくり団地を見学するというのはなかったと思いますけれども。まず先にMUJI×UR団地リノベーションプロジェクトを説明させてください。このプロジェクトは2012年から始まりました。ウェブサイト上で「団地再生物語」というコラムを書いています。この無印良品の家ウェブサイトは62万人ほどの会員にメールマガジンが配信されていて、その中で団地の未来ということを伝えています。このプロジェクトでは専有部分の改修をしてきているのですが、去年の春から、団地の専有部分のリノベーションだけではなくて、団地全体をどのように考えていくかということが大事ではないかということから、リレートークの企画が始まりました。今日のテーマも共有空間を考えるということで、団地そのものも今、大きな転換期に来ています。例えば、高齢者の問題であるとか、空室の問題であるとか、それから時代を経て、社会の価値観、生き方、暮らし方、それから都市構造そのものが変わっている中で、団地の意義とか価値が問われ直されています。もっと言うと、かつて憧れだった団地というものが、その価値がどんどん変わってきている中でもう一度、団地の価値をどう発展していくかということもあるかと思います。ということで、専有部分の見直しから始まったものですけれども、これからは共有部分をどう考えていくかということ、またコミュニティや社会のあり方をどう考えていくかということをテーマにしていきたいと思っています。
- 木多
- 大阪大学の木多です。今日のタイトルは、「時間を超えた『場』の共有と屋外空間の再創造」です。キーワードのひとつは「場」です。場とは何かということ。もうひとつは、URの前身の日本住宅公団のときから、どんな団地の設計思想が育まれてきたかということ。その2点を主にお話しします。
- 木多
- もし、空襲を受けてしまったら、復興の土地区画整理で消えてしまうところだったんですが、ここは残っています。当時から、路地を長く維持してきた住民の方がいらっしゃって、インタビューをさせていただいたんですけれども、昔は子どもがたらいで水遊びをしたりとか、お社があったり井戸があったり、植栽が飾ってあったり、所々に長屋門と呼んでいるところがありまして、住民の方の表札が全部ここにあがっているんです。こういうところはかなり結束が固くて、それぞれ路地のイメージがすごくしっかりしていて、恐らく、どういうものは置いてはいけないとか、どういうものがこの路地にふさわしいとかいうことも、イメージを共有していると考えられます。なので、バイクが置いてありますけれども、ポリバケツとか置いてないですよね。それはやはりお互いにイメージするものがあるからと考えられます。」
- 木多
- イタリアの山岳都市、シエナという町にあるカンポの広場です。これは1585年の絵です。16世紀からこれだけ賑わった広場だったんです。この広場は1階におしゃれなカフェも集まっていて、恐らくここにやってくる人はそれなりの立ち居振る舞いがあると思います。こんなところに寝間着を着て出てくるわけにはいかないし、かといって、すごく気を張ったおしゃれもしなくてよくて、日常的な延長の、ちょっとしたおしゃれをして集まってくるのですけども、やはりそういう場所には佇み方とか過ごし方とかいうものがあるんだと考えています。
- 木多
- 今の路地とか、カンポの広場のような空間を考えていただければ分かりやすいかと思います。広場に人間が接続しているというイメージなのですが、私の授業で紹介するときは、いったい人間が何なのかとか、肉体は何かとか、精神は何かとか、そんな授業もしていくんですね。人間の肉体には、実体がないと考えています。実はまちづくりや人の人間自身を考えていくときに、本当の実体がある実質的なものは精神で、肉体や空間というのは、人を結びつけるためのメディアであり道具であって、良い意味でバーチャルだと考えています。
空間と人との関係についてですけれども、普通関係を作るときは一方の線を引っ張るだけで終わってしまうんですが、私の広場との関わり方という気持ちを込めて丸で書いているんですね。
私はこの広場が好きだから植物を維持するときに手伝いたいとか、それから私自身もこの広場にカフェを作るときは、私自身がこの広場のいい風景の一部を作りたいから、それにふさわしい服装で行きたいというように、広場に対する思いと関わり方があるんですね。それをひとりひとりが持っているということです。
カンポの広場も、それから空堀地区の路地も、長い時間いろんな人が関わり続けてきたわけですから、そのたびにいろんな議論が起こるわけです。この広場にはこういう彫刻は置くべきじゃないとか、こういう路地には、こんなものは置けないだろう、といった議論をしてきて、それでお互いに、価値感を共有してきていると思います。
ですのでこの部屋を運用されている方々、住民の方々、この広場にテレビは置いていいのかとか、あるいは玄関のところに海外から買ってきたタペストリーを掛けていいのかとか、そういう場の雰囲気作りがあると思うんです。それをその都度議論をしていくわけですね。そうすると皆さんの間に一定の価値感が築き上げられてきて、それはなかなか言葉で書けないものです。でも、あるとき、例えば電気会社の人が来て、この部屋に巨大なプラズマディスプレイをあげますけども置いてくれますか、と聞いたときに、もう答えは決まってるかもしれないんです。それはみんなで集まって相談する前から決まっている。つまり、この集会室には、すでに価値観というか意思が出来上がっていて、相談する前から決まっている。そんな空間に宿っている精神性といいますか、意思や価値感というものがあるのではないかと思うのです。
ひとりひとりが空間に対して思っている思い、それから働き掛け方、維持管理の仕方、掃除の仕方というのがあって、それを貫く価値感があるんですね。それをこの空間に宿る精神性とか価値感と呼んでいます。これは専門的な言葉もちゃんとあって、「暗黙知」と言ったりします。それは、普段表に表れていないものですが必ず人の間に存在するもの、そういうものがあると考えています。人がいて、空間があって、それぞれに空間への働き掛け方があって、それを何人かの人が一緒にやるわけですから、一定の議論の上に生じてくる価値感が生まれてくると考えています。 - 木多
- これは千里ニュータウンの津雲台、今公団の住宅が建っているところです。千里ニュータウンは大阪府企業局が開発して、その土地を公社や公団とかに分譲していき団地を開発するというプロセスですね。大阪府企業局というのは、ニュータウンの全体の大きな近隣住区や街の配置以外にも、府営住宅の団地の配置をどうすべきかというところに、研究の上に成り立った思想がありました。
津雲台の今公団が建っている土地ですけども、企業局は公団に土地を渡す前からモデルプランを作っていたわけです。これは、このひとつのワンブロックを大きく建物で囲んでいくわけですね。専門的な用語で、「ラドバーン」といいます。これは実際の街の名前ですけれども、車と人を分けるということです。こんな風に大きく車が入ってこない広場を造って、子どもが安心してここを自由に行き来できるということですね。それに対して、外側は、これは北欧で大きな囲み型の団地が当時あったのですが、それに影響を受けて導入しようとしたんですけども、単純に日本に適用するんじゃなくて、日本なりの工夫をしています。当時この設計チームは大阪の都市部にも公的な住宅を建てるプロジェクトが進んでいて、ニュータウンを都市的な感じにしたいという思いもあったのか、街路沿いに建築を建て並べるという、そういう思想もありました。 - 木多
- 話がまた変わりますが、これは千里ニュータウンの津雲台、今公団の住宅が建っているところです。千里ニュータウンは大阪府企業局が開発して、その土地を公社や公団とかに分譲していき団地を開発するというプロセスですね。大阪府企業局というのは、ニュータウンの全体の大きな近隣住区や街の配置以外にも、府営住宅の団地の配置をどうすべきかというところに、研究の上に成り立った思想がありました。津雲台の今公団が建っている土地ですけども、企業局は公団に土地を渡す前からモデルプランを作っていたわけです。これは、このひとつのワンブロックを大きく建物で囲んでいくわけですね。専門的な用語で、「ラドバーン」といいます。これは実際の街の名前ですけれども、車と人を分けるということです。こんな風に大きく車が入ってこない広場を造って、子どもが安心してここを自由に行き来できるということですね。それに対して、外側は、これは北欧で大きな囲み型の団地が当時あったのですが、それに影響を受けて導入しようとしたんですけども、単純に日本に適用するんじゃなくて、日本なりの工夫をしています。当時この設計チームは大阪の都市部にも公的な住宅を建てるプロジェクトが進んでいて、ニュータウンを都市的な感じにしたいという思いもあったのか、街路沿いに建築を建て並べるという、そういう思想もありました。
- 木多
- それからもうひとつ、配棟計画の平面図に少し窪んだところがありますね、これは建物の入口がこのくぼんだ方に集まってきています。見学会のときに「NS配置」とおっしゃっていましたね。真ん中に空間が空いていて、昔はそこが広場だったりしたのでしょう。
そして入口が南北で面してるということは、人が出入りしますので、朝夕、通勤通学、買い物のときに出会うわけです。そこで挨拶を交わして、建物の住棟を超えてコミュニティが出来上がります。そんな日本の路地の精神というんでしょうかね、路地をきれいに掃き清めて、そして花を植えていって飾っていって、人のつながりが生まれるというような、そういう環境をここに作りたかったということですね。これはヨーロッパ的な感覚ではないです。そういうことを色々融合させて考えた配置だったんです。自信満々に公団に土地を渡すときに、こんな配置でやってくださいと言ったら公団が怒ったんですね。なぜかというと、この住棟は南面専用の標準設計の住宅なので、こんな風に南北に設計してしまうと西日が当たってしまってどうするのかと。公団は源流をたどれば、関東大震災のときに復興を担った同潤会という優秀な人たちの設計集団があったわけですけれども、関東平野のほうで有名な名作をたくさん生み出してきた、そこから人材と知識がつながってきていて、日本住宅公団につながってきていると言われています。そういった団地の設計の蓄積があるので、南北に配置してしまうのはだめだというのが分かっているわけですね。なので、並行配置だけで作りました。 - 木多
-
次の事例ですが、この団地では南北に緑道を造りまして、その緑道沿いに子どもの遊ぶプレイロットを沿わせました。子どもが道沿いで遊ぶのが好きだということは研究で知らされていて、通常は公園を作りますね。でもなぜか子どもが公園ではなく道で遊ぶということが、研究者にとっては不思議な現象として移ったたわけです。それは公団の人も恐らく分かっていて、道を作ってそこに子どもの遊ぶところをくっつけたわけですね。実際には公団と府との争いがありまして、府は公団に土地を売らないと言い出したりしていました。でも最終的に、公団が自分の考えを押し通して、こういう配置が今、津雲台で生まれています。ものすごい紛争が起こりましたけども、両者とも社会貢献したい、良い街を造りたいという熱い使命感と技術があって、それを外部空間で造りたいという思想は共通していました。ただ、解き方が違っていたわけですけども、これが出来上がって結果どうだったかというと、実際府営の団地は囲み型があちこちで生まれています。
府営団地は、駐車場を外側に最初取っていましたけど、足りなくなってきて、この辺を駐車場に変えていったんですね。そうするとやはり、当時イメージしていた大きな囲み型の広場の空間が駐車場に変わっていくので、辛い面があります。車が入ってくる前までは自分たちで相談をして子どものための遊び場を作ったり、バレーのコートを作ったりテニスコートを作ったり、みんなが議論をしてどんどん良くしていったんですけども、ある時から車が増えてきて厳しい状態になりました。こちらのほうも、車が増えてきたんですけれども、住棟の間に駐車場を取っていったので、南北の緑道は残り続けているわけです。なので、この設計が、このモータリゼーションをどれだけ意識してるか分かりませんけれども素晴らしい設計だと言えるのではないでしょうか。
この図面の、この所に「ポイントハウス」がありまして、景観的に並行配置だけだったら単調になりうる面があるので、うまく地形の変化があるところに入れているということがあります。これは同じ津雲台の公団の土地ですけども、篠沢健太先生という研究仲間の先生がいらっしゃって、その先生にいただいた図ですね。これが府のほうで検討されていた計画で、土地をだいぶ変えますので、等高線に対してどう建築を建てるかという重要なテーマがあります。府営は府営なりに、こういう地形を残したり色々考えていたわけですね。
公団は結果的にいえば、こんな起伏を、こう変えた。位相関係というか、高い低いという関係は同じなんですけども、全体として地形の傾斜が残っているんですけど、こうなってるやつをこうしますから、ここ交わるところがありますね。交わるところは土が入れ替わりにくいんです。高いところの土地は全部削り取られて下に埋められますので、もう土がひっくり返って、何か無茶苦茶になりますけども、真ん中のこういうところですね、ここは土を切ってこっちに埋めたんですね。こういうところは土があまり動かないんですね。だから公団の緑道の樹木がうまく育ってるんです。つまり、何百年何千年か分かりませんけれども、風雪を受けて土地が肥えてきて、その風土にふさわしい植生を受け付ける土壌が出来ていますから、そこの樹木はきれいです。そこに緑道ができていますから完璧なんです。こんな設計思想だったのだということを篠沢先生と一緒に公団の当時の方にインタビューしたんですけれども、どうも意識してやっていなかったということで、でも地形を大切に計画すると、予想外に良いことも起こることが分かります。そんなことも発見できました。すごく木がきれいで、千里ニュータウンには街歩きをされている方がいらっしゃって、自分の気に入った風景を写真に撮るんですけれども、必ず公団には緑道の樹木があがるんですね。 - 木多
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公団の千里ニュータウン設計チームが自主研究をやっていて、青焼きでいただいているんです。向こうの端からこちらの端まで、屏風のように並んでいる部分をスキャニングしてきたんですけれども、色んな住棟配置を研究されています。今日のNS配置も、この辺にあったかと思いますけれども、当時東京や名古屋の各支社に集まって、お互いの自主研究をぶつけ合って、そこでしのぎを削ったらしいです。研究成果をポスターにまとめること自体が、東京・名古屋の人たちを驚かせたらしいですけれども。そういう貴重なものです。こういう設計チームがこの団地を設計しています。
この囲み型が成り立つためには、南北に配置する、西日を受けたり、東からの光を受けたりするのに対応した間取りとかそういう設計をしないといけないのです。そういうものを開発して、新千里東町の公団に活かされています。 -
津端修一さんという方がいらっしゃって、この方はアントニン・レーモンド事務所という日本の巨匠といわれる建築家を育てた事務所に勤めてらっしゃった方で、津端先生は、このまま建築を設計していくのもすごく重要な仕事だけれども、やっぱり社会をつくりたいという気持ちがあって、アントニン・レーモンド事務所を辞めて、公団に入社されたんです。最初に担当したのが高根台団地で、これは名作として評価が高いものです。
もともとデンマークのキンゴー団地というものがあって、これは複雑な地形に対して、地形を壊さずにテラスハウスをふわっと載せるような景観で、こういうものを理想とされていた。高根台団地を初めて担当したときに、当時の公団はかなりネガティブな意味で経済的に設計する時期だったらしいです。なのでテラスハウスも最初は50種類以上標準設計があったのに、このときは1種類しかなかったらしいです。しかも土地の造成に対して抵抗したんですけども平らに造成されてしまったということです。それでもめげずに頑張ったのがこの団地で、公団の監督事業なので公団が土地を買って広場を作っているんですね。事業収支が成り立ちませんので、その広場は公団が所有して管理するのは不可能です。ならばどうしたかというと、団地の中の通り道を少し十字型にクロスさせるのではなくて、T字型に微妙に当てて曲げて特徴といういか、個性を作ったんですね。ブロックごとに交差点のかたちを違えていって、子どもたちが自分の家に帰ってくるときに間違えないようにという配慮もあったということです。
コミュニティがどう育つかとかを考えるとき、やはり道というんでしょうかね、ファブリックなところから少しセミファブリックに入った路地が大事だということで、そこでのコミュニティのあり方を考えて団地に生かしていったということです。 - 木多
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こちらは川手昭二さんとおっしゃって、公団の方で港北ニュータウンを提案された方です。千里ニュータウンと同じぐらいのスケールです。千里ニュータウンが近隣住区論で作られていて、これが南千里駅で、津雲台、佐竹台、高野台とか、竹見台、桃山台という近隣住区に対してどのように近隣センター、小学校、幼稚園を配置するのかということを考えています。その原点になっているのは、クラレンス・アーサー・ペリーの「近隣住区論」のモデル図なんです。これがひとつの近隣住区イコール小学校区。真ん中にコミュニティセンター、教会、広場があります。そもそもこの思想は、子どもからお年寄りまで幅広い年代の層がお互いに目に触れ合って、あるいは大人が喧々諤々している議論を子どもが聴いているという、そういうまちづくりの考え方や知恵、創意工夫が受け継がれていく原点がここにあるわけです。しかし設計者にとってはすごく便利な模式図なので、ついこれを模式図的に適用してしまって、そうすると破綻を来たしてまう。近隣住区論というのは、近代の貧しい住環境を作りあげたのは悪の権化だと批判されることがあるわけですけど、津端先生は千里ニュータウンを参考にして港北ニュータウンを作られているから、小学校区のサイズもすごく似ています。さらに工夫したのはクラレンス・アーサー・ペリーが影響を受けたシカゴ学派という社会学のグループがあるんですけれども、シカゴの街をフィードバックをして、なぜこんなに犯罪非行が多いのか、そういった中でも良い感じの地区があって、そこは教会や学校や広場があって、地区の精神性が教会、学校、広場との関係によって形成されているんだというところを発見したわけです。それを発表し、それを見たクラレンス・アーサー・ペリーが影響を受けて、じゃあニューヨークはどうかということで、ニューヨークのをフィードバックして、やっぱり同じような現象を発見したわけですね。それを模式図化したのが、さきほどのモデル図です。
川手先生は、シカゴ学派まで勉強し、結局精神の継承が大事だということに気が付いたわけです。そうすると、日本人にとって教会、学校、広場の関係が何か考えたら商店街だと気が付きました。なお、港北ニュータウンには商店街が作りづらい面があるんですけれども、商店街とは夜、交通量が減ってくると、子どもが商店街の路面で絵を描いたり、拳法をやったり、ベッタンをやったりして遊びます。当時は10時頃までお店の明かりがついていて、大人がそこでまちづくりの議論をしているんです。そういう大人と子どもの触れ合いが路上であったことが日本の文化だと気が付いて、教会や広場の代わりに、緑道システムを作ったわけです。緑道システムがちょうど中央部分を連結するように配置されていて、これは地形ともフィットするわけですけれども、今この道すごく良くなっています。色んな飾り付けや畑があったり、大人がいつもいて、そこを子どもが通っていくわけですね。小中学校が面していて、店が面していて、神社も面しているという状態になっています。


初めに、大阪市の中央区にある空堀地区という場所のスライドをみながら、第2次世界大戦のときに、米軍の空襲を免れて路地のネットワークがそのまま残っているという事例の紹介です。
次にイタリアの事例の紹介です。


続いて団地の配棟計画の具体的な事例を紹介




- 木多
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一方千里ニュータウンはどうかということですが、設計者が、この場所を大事にしてもらいたいという気持ちで緑道を作りました。それに対して維持管理する人が使っています。
これは、青山台の団地の写真なんですけども、ベンチがあって草も抜かれています。ここはURから依頼されている会社が維持管理していますが、その方に聞いてみると、順番に下から上まで草を抜いていけば良いのですが、まずは子どもが遊ぶブランコの周りや、皆が座るベンチの周りを先に草を抜くということです。やはりこれはこの道が大事だということを、維持管理する人が受け止めてやっています。だから、これは設計者が誘導したという、「誘導型」と名付けているわけです。「構築型」は、何もないところを子どもが通って草地が踏み分けられていって、それを大人が公社に頼んで道を作ってもらうというやり方。「定義型」は、普通の道なんですけども、よく人が通るということが分かってきてそこにプランターボックスを配置して飾り付けていくというやり方です。
近くに北千里駅があって、ここには公社の団地があります。もともと何も道がなかったんですけれども、ここに小学校があって、子どもがみんな通りますので後から道ができました。これは構築型の例になっています。世代ごとに色は変わっていきますけども、地域の人がお互いに議論をしながらオープンスペースの維持管理の仕方を話し合って、緑をどうするか話し合って、緑が育つのと同時にコミュニティが育っていった、そんな風にその現象を解釈しています。
青山台の公団は定義型で大事な緑道ができました。港北ニュータウンでは緑道がありますね。それに対して千里ニュータウンは緑道のシステムまでは計画してなかったんです。ひとつの近隣住区の中に施設を配置するという考えです。でも、人が住んでいる間に、構築型、定義型、誘導型のネットワークができていくわけです。しかしあちこちで建て替えが進むと、建て替えによってそのネットワークが崩れ、団地を囲い込んでしまって、せっかくできた道を止めてしまいます。一方でこちらのほうは、ある理由があって、絶対に永久不滅な緑道なんです。どんなに建て替えられてもその骨格は残ります。そして、この団地の使命として、やはり千里ニュータウンの地域の人たちが定義したり構築したり誘導されたりして作られてき3つのネットワーク、これが壊れて崩れていっているので、やはり緑道を大事にしてもう一度ここを原点にして、周りに対して良い影響を押し戻すようなそういう役割がいると考えています。
これらの事例は、さきほど説明した場所と人間との関係そのものと言えます。空間にこんな価値感が生まれ意識が生まれてくる、そういうものを場所と呼んでいます。場所というのは、研究者によって、あるいはデザイナーによって使い方が違いますけれども、私が厳密に検討した結果、場所は空間に対して意識あるいは精神が生まれた空間。場所に価値感が生まれてくると、人に対して影響するわけです。人が働き掛けるだけじゃなくて、場所のほうから人に働き掛ける、そういうふうにしてどんどん場所が熟成されていくわけです。
この場所と人間との関係を図式化すると、こういう絵です。これは上から見ると丸い円に見えますが、横から見ると螺旋状になっています。まず初めにプランナーが、外部空間でコミュニティと人とのつながりをつくっていくんだというテーマで設計したわけですね。それで、第1世代がこの緑道を大事に使っていきました。次に、第2世代がどうするのか、第3世代がどうするのか、そういうふうにして、この精神性というものは続いているわけです。立体的に見ると螺旋状になっていて、これは過去の人と今の人そして未来の人みんながこの場を作っているということ。それが、今日ご説明したかったもう一つのことです。
今後のことですけれども、英国の、米国の団地は住んでいる社会階層がすごく近いです。組合や株式会社を作って色々なことをやっています。個々の建築のコントロールまでやってしまってるわけです。しかし日本ではなかなかうまくいかなくて、そこまで行ききれていない。だから、人のつながりをどこまで進化させていくのか。やはり人はチームで協力して、この団地やこのニュータウンにふさわしい空間のあり方のイメージを作り上げていって維持管理していくことが大事なんじゃないでしょうか。それは土地の価値をマネージメントすることにつながっていきます。公社では、佐竹台では建て替えて一体緑道を造りました。誰でも通っていいんですね。すごく上手に維持管理されていて、この緑道沿いに佐竹台のある団地の一室がつながっていて、そこでいろんな人が集まってくるコミュニティカフェができていたりします。じゃあ、この団地は建て替えずにどのように考えていくのかということも大きな課題だと考えています。 - 土谷
- ありがとうございました。では続けて藤村さん、お願いします。
- 藤村
- それでは、私から「縮小する都市のマネージメント」と題しまして、お話をさせていただきたいと思います。私は、埼玉県の川越にある東洋大学で講師をしているですけれども、埼玉県の鶴ヶ島市等で主に公共施設のマネージメントに関わらせていただいているので、その経験を少しお話させていただいて、先ほどの木多先生のおっしゃっていた場とか、場所、あるいはマネージメントというところにつなげていければと思っております。
私がインフラのマネージメントに関わりだしたのは最近です。最初にお話するのは「鶴ヶ島プロジェクト」というもので、これは2011年から鶴ヶ島市と東洋大学がジョイントで取り組んでいるプロジェクトなんですが、川越の少し先にある鶴ヶ島駅から周辺に、極めて埼玉的な状況なんですけれども、東京に向かう線路があって、ここに元からある農地があります。そこの際(きわ)のところに、1970年代に住宅開発された戸建て住宅が並んでるんですけれども、そのさらに外側のところに公民館と小学校が建っているという場所があります。このエリアで1970年代に一番最初に入居された人たちが、当時30代で入居されているので、今ちょうど70代ぐらいになってきて、会社をリタイヤされてお年寄りの方がたくさんいる状態になっています。
その当時に作られた公民館や小学校が同時に老朽化していて、これをどうするかが問題になっていました。背景としては、高度成長期に生産人口が大量に流入して高齢化が深刻であるということと、将来的には鶴ヶ島市の財政難というのが予測される中で、統廃合には反発されることが予想されるという典型的な郊外都市の状況があったんですけれども、そこで私が提案したことは、学生が行政の公開情報をもとに維持可能な床面積を予測する。で、公民館機能を複合した小学校施設を設計をするという。行政としてはインフラを縮小しなくてはいけないけれども、それを大っぴらに言ってしまうと反発されるかもしれないという状況があったんです。ですので、大学の課題ということであればどうでしょうかということで提案したら、そういう設定であれば実験をするのもいいかもしれないということになりまして。そこで最初にやったことは、個々の大学の課題として、公民館と小学校を複合化するというプロジェクトがありまして、これ500分の1の模型を使って設計すると。この500分の1というのは、スイスなどでは公共施設を建て替えるときに必ず設計者を公開で投票で選ばなくてはいけないということがあって、その投票で選ぶ際に使われるのが図面とともに設計者が提出しなければいけないのが、この500分の1の模型らしいんですけれども、ちょうどこの敷地模型がこれぐらいなんです。スイスの場合だと、これよりもさらに厳しくて、この敷地の模型を主催者からコンペにエントリーする人は購入をして、そして自分たちの提案する模型をはめ込んで提出すると、そういうことをするそうなんですけれども、それに習って、ここでも500分の1の模型を使うと。それと同時に、内部で最初はワークショップを何度かして、設計案の初期案を作っていって、だんだんこなれてきた頃に、実際に街へ出てパブリックミーティングというのを始めました。これは、統廃合が想定されている教室の一室を使って、地域の教育界の方々に来ていただいて発表、2週間に1回、上位の9案が住民の皆さんの前でプレゼンテーションをされ、投票していただくと。投票してそこで選ばれた上位4位の人たちはワークショップに進んで、質疑応答をしていただいて、そこでさらに上位1位になった人たちが最終投票すると、そういう仕組みです。
このように大学が街へ出て住民の人たちと一緒にプロジェクトをやるというのは、今日ではそんなに珍しいことでもなく、私どもの大学でも朝霞市や川越市ででやっていたんですけれども、たいがい、学生が何か提案するという話になりますと、詳しい要求条件と提案する内容というのがなかなか合わずにギャップが生まれてしまうので、住民の人たちにいきなり見せたとしてもミスマッチが起こりやすいんです。そこで私がここで提案したことは、これを5回繰り返すということです。2週間に1回というサイクルを5回繰り返すと、それぞれが考えていることがもう少し歩み寄っていくのではないかと。


- 藤村
- 毎回2票し、それをその場で開票して、上位4案をワークショップに進めて、意見交換をするわけですね。そして、学生も説明がうまくなってくるし、同時に住民の人たちも最初は耐久性や耐震性等の技術的な質問が多いんですけれども、「そういうことは専門家が必ず解決しますから、皆さんはこういう施設ができるとしたらどういうまちづくりをしたいのですか」と、理念の話をしてくださいとお願いをしていくと、徐々に建設的な雰囲気になっていきます。これは実際の社会の縮図で、実際、行政やデベロッパーが何か提案しようとすると、最初は技術的な問題で紛糾することが多いですけれども、ワークショップの回数を重ねると、だんだん建設的な雰囲気に傾いていくので、まずはリズムを作るということで、そうやって毎回の1位から3位というのを投票で決めていくと。投票権は多数決ではなくて、あくまで世論調査みたいなものでして、それによって議論の関わりを生んでいくという試みです。


- 藤村
-
それで実際にどんな案ができてきたか言いますと、最初のうちは抽象的な、何となくグラウンドがこっち側にあって、ここに教室が配置されて、体育館があって、空き地があって、といった感じなんですが、これはまだちゃんとした設計をしている方で、学生の提案は、軒先があって、縁側があったらどうかとか、あるいは何かバラバラになっているものがブリッジでつながっているとか、森のような学校とか、色々あるんですけれども。こういうのを一回この状態で連れ出して、住民の皆さんの前で発表し意見交換をすると、ひとつひとつのエレメントの配置がよりはっきりしてきて、新しい提案がどんどん出てきて、少しずつ形が具体化していき、新しい形も出てきます。同時に、計画的な指摘、例えば保健室は必ず救急車が横付けできなくてはいけませんとか、セキュリティー上、導線の入口には必ず管理者室がなくてはいけませんとか、そういう細かい計画をチェックしていきます。そうしていくと、だんだんまとまっていって、最後のほうには、こういう案が9案ぐらい並んでいきます。一般的には、大学の建築の学生の皆さんは心当たりがあるかと思いますが、非常に独創的で面白い案だけれども、面積を満たしていないわ、構図は取っていないわ、というものか、条件はちゃんと満たしてるんだけどもいまいち飛躍がないね、という案と、それがだいたいどっちが良いんだという話になってしまって、意匠の先生とそれ以外の先生が議論するということが起こりがちですけれども、それは社会の縮図でございまして、コンペなんかをやってもよくそういうことが起こりますね。組織系の設計事務所とアトリエ系の設計事務所が議論する中で段階を踏んでいくと、ある種、実験的な要素も含み込んで、ちゃんと技術的な要件を満たしたものが必ず作ることができると。そして要項は全体で満たした上で、それぞれのアーキテクトの考えの違いが強調されて、分散型でいくのか、囲み型でいくのか、川状でいくのかというタイポロジーの違いが出てきて、初めて市民の人たちもその違いを分かった上で比較することができるようになります。市民の人たちも1回ではこれはなかなか分からないと思いますが、さすがに5回やってると、こういう建築の見方が共有されます。そして、5回やってくると、だんだん人も増えてきて、かなりの人数になっていくんですが、市長や副市長や近隣の自治体の視察の人や、文科省の若手の職員とか、いろんな方がいらっしゃいましたけれども、このよう色々な人が集まっていつも通り発表して、やり取りをして投票をするという方法を取りますが、この中で上位が決まったのがこの4つで、最後、競り落として、彼が最後選ばれて感動のあまり泣いていると、そういう写真なんですけれども。彼はあまりにも感動してしまって、同時に公務員の仕事は面白いなと思ったらしくて、このあと公務員試験を受けて今鶴ヶ島市役所の建築課に勤務している、そういう人がいるんですけれども。彼は公共施設マネージメントに取り組み始めましたが、彼が提案していたのは、割と平屋型のもので、八の字型導線になっていて、普通教室と特別教室がこの廊下を挟んで並んでいるというもので、真ん中にランチルームがあって、この外部導線が給食の搬入導線になってて、将来的にここが福祉施設にコンバージョンされたときには、介護用の車のエントランスになるという細かい設計を積み重ねているものでした。決して派手ではないので、一発のコンペではなかなか選ばれないかもしれませんが、いろんな評価を積み上げていくとこういうものが1位に選ばれていきました。
他方で、建築系学生の評価が高かったとものというのはこういう案でして、割とはっきりしたタイポロジーで、全体を高層化していくというものであったり、あるいは子どもたちが評価が高かった案というのはこういう案でして、全体が囲んでいる大きな広場型の案は割と象徴性があって、みんなが集まると良さそうと思うんですけれども、彼らに言わせると、6年生の天下になってしまうというわけですね。なので、ここを1~2年生か、3~4年生、5~6年生と、バラバラで遊べるのでこういうのがいいんだ、という話が出てきたりとか、それぞれ投票する人によって論理が違うんですけれども、そういうふうに十分にいろんな評価があるということを知った上で、投票というのを皆でする。そうしていくと、場の雰囲気に流れることなく一つの案を作っていくことができるという手応えを得ました。
- 藤村
- ここまでは普通の大学の設計課題の話なんですけれども、これを実際に公共政策に近づけていくということもやっていまして、鶴ヶ島市役所の展覧会ですね。鶴ヶ島市役所の1階のロビーのところに、これまでの経緯の模型をずらっと並べていまして、これ1階のロビーですので、全ての職員の方と全ての議員さんが通ってくれるわけですね。市民の方もたくさん通ると。こういう展覧会をどこそこの展示室でやっていますというと、なかなか通っていただけないんですけれども、必ず通るところでやっているので見てくださると。こういう公共施設が老朽化していて、これは財政問題に関わっていて、将来的にインフラをまとめていかなくてはいけないんですよという議論に関しては、財政課とか建築課とか、一部の職員の方々の間では十分に認識されているんですけれども、それがなかなか全組織としては統一した見解は得られていないと。その意見を変えていくためのひとつの、一種のロビー活動ですね。これを学生の口から、市民の方々に説明していただいたり、これを毎日お昼休みにやるわけですね。そうするといろんな職員の人たちも、少し顔を出してくれたりして。最終日にシンポジウムをやったんですけれども、ちょうど9月の議会の会期と重なっていまして、議会の一般質問の最終日に合わせてこのシンポジウムをやると。ここで私が司会をして、学校建築の工藤和美さんとか、経済学者の根本祐二さんや市長も出てシンポジウムをやりました。シンポジウムに来られている方は、外部から来られて熱心な方々ですけれども、周辺にいらっしゃるのは職員の方々で、皆さんは席に着くわけではないけれども、何となく市長もやってるし建築の連中は何やら騒いでいるので、何だ何だという感じで聞いているのですが、こういう仕掛けが重要で、この2階や3階にもたくさん人がいたんですけれども、こういうふうに全体的に市役所職員の中で議論を共有するという仕掛けをしたことによって、少しずつ動きが出てきました。
公共事業の大きな変化について
- 藤村
- そして、これは「朽ちるインフラ」問題という、1930年代にアメリカでは、1929年の大恐慌を受けて公共投資というのがなされたんですけれども、それが50年経って1980年代になって、トンネルが閉鎖されたり、橋が落ちたりと、インフラの老朽化というのがかなり顕在化しましたが、それが約30年、40年遅れで日本がそれを追いかけているといわれていまして、1970年代に集中投資されたインフラがこれから一斉に老朽化するであろうといわれています。それを、公共がすべて事業として投資してしまうと財政的に破綻してしまうので、鶴ヶ島市でも2020年~2030年代に集中投資をしなくてはいけない時期がやってくると。しかしそれに全く予算が足らない中で、どうするかということが問題になっています。今鶴ヶ島市では全34施設ありまして、今後50年間維持するとなると579億かかると。市が用意している普通建設費が年間4億ですので、約50年で200億しかありません。そうなると、単純計算で3分の1 に圧縮する必要があるのですが、これについて、例えば学生のチームでそれを専門にプレゼンテーションしている人たちがいるんですけれども、そういう財政状況の説明なんかをして、これから集中投資がいりますという話をすると、こういうパブリックミーティングに来ている住民の方々も、最初のうちはどれだけわがままを聞いてくれるんだろうね、という感じで来られているんですけれども、こういう話を聴くと、何だ、そういうことであれば一緒に考えなくてはいけないと、そういう空気ができてくるわけですね。ですが、市の担当者に言わせると、前から説明していたと言うんですが、議員や職員も、その問題というのは認識されていなかったと。それをさらに、今度渋谷のヒカリエですとか、色々なところで展示をするようになりました。これによって、トークイベントをやってメディア発信をしていくことによって、当初は埼玉県でいくら頑張ったとしても、なかなか学生のお祭りのような扱いになって終わってしまうんですね。しかし本当はこの問題は全国的な課題で、それに対して大学が第三者機関として協力をし、住民を巻き込んで取り組んでいる、そういう先進性みたいなものがなかなか伝わらないなと思ったんですけれども、渋谷で展覧会やるようになって、メディアの方(本社の方)が来てくださるようになったんですね。そうすると本社の記者の方は、これがいかに新しい事例かということを分かってくださり情報発信してくださるようになったと。鶴ヶ島の市役所にも、あるいは現場にもいろんな方が取材に来てくださいました。学生たちや住民の人たちもインタビューに答えたり雑誌の表紙に載ったりして、少しずつメディアの反応を感じるようになって、最初は自分たちの自治体が貧乏だからこういうことをやらなくてはいけないんではないかと、少し惨めな感じというのを持っていた方もいらっしゃったのですが、それが先進事例だという話になってきて前向きな空気というのができてきました。
朝日新聞の記事をきっかけに
- 藤村
- これは朝日新聞の2012年の朝刊なんですけれども、全国面の記事で改築や補修をどうするんだということを2012年総選挙の議題のひとつとして扱っていただきました。ここで鶴ヶ島の事例を紹介いただい、さて政府はどうするんですか、という記事に仕立ててくださいまして、その他にもいろいろな、建築課の島田課長さんという方がいらっしゃるんですけれども、この方なんかもテレビに何度も出たり。そういうことで、ようやく市でも本格的な政策が出てきて、これは昨年末ですけれども鶴ヶ島市から出てきた公共施設の利用計画という、市の事業として最大40%減という方針などが出てきまして、今これが鶴ヶ島にある実際の学校区が、鶴ヶ島市では中学校区が5、小学校区が8あるんですけれども、これを最大3にするという、というようなかなり大胆な削減案みたいなものをポンと出して来られていて、これの説明会が今ちょうど始まろうとしています。
市の今後の事業計画
- 藤村
- 昨年の年末、12月の末に出された方針ですけれども、鶴ヶ島全体のプランでも、「縮小」ということがはっきりと言われているようになりまして、市民アンケートでも統廃合のあり方についてどうですか、という問いに対して、「必要だと思う」と「どちらかというと必要だと思う」で75%位の方が回答していました。鶴ヶ島の中では世論の醸成という点では成功してきているのかなというように思います。 今中学校区を3分割あるいは4分割するというように、校区全体を書き換えないといけないんですね。校区の書き換えは、かなり大胆な変更をこれからしなくてはいけないんですけれども、これをオープンに決めていこうという話をされていて、普通は議会で検討して結果だけを見せて、パブリックコメントというのを募集するというのが一般的ですけれども、その大元から、人口で割るとこうです、若年層の人口で割るとこうです、高齢者の人口で割るとこうですと、前提条件をオープンに公開して良いんじゃないかと、かなりオープンなガバメントを鶴ヶ島はやろうとしています。これは私の研究ですけれども、学校区の編纂、編集というような、都市の全体計画に関わるようなことを、建設、建築の施設計画をきっかけにして、新しく作ろうとしているというところがひとつの特徴かなと思います。
今後の展開について
- 藤村
- 今後の展開としては、市民意見交換会とか、包括協定とか、中間施設の基本構想みたいなことがあるんですけれども。こういうことをいろいろやってきていて、最終的に市民の皆さんと、ものをつくっていくということをやろうとしているのですが、特徴としては、模型と投票によるワークショップということで、関心を喚起していくことや、あるいは展覧会を併催して将来図を供給するというようなことや、あるいは公聴会を開催して他人と意見を共有する等、非常に情報発信型形でこれを仕掛けていくと。それで世論を醸成していって、むしろ政治の側を動かしていくやり方なんですけれども、これは鶴ヶ島のような小さな街で、とりあえず動いてきたことですけれども。一方で少し視点を変えてみると、この人は先頃までニューヨークの市長をやっていたマイケル・ブルームバーグという人がいますけれども、ニューヨークがこの12年ぐらいでものすごく都市計画行政に力が入って、市の4割のゾーニングを変更するとか、徒歩5分で全て、徒歩10分で全てのニューヨーカーが公園に行けるように再整備しますとか、いろんな施策を打っていますけれども、そのいろんな施策というものの手法としては、先ほど申し上げたような、いわゆる公聴会の開催とか、あるいは展覧会の積極的な開催、コンペの開催による将来図の供給、そういったことを特に大学や非営利職能団体と呼ばれるような、そういう組織によって積極的に行われていると。かつてであれば、行政の内部組織、例えば横浜市の都市デザイン室とか、世田谷まちづくり公社というような行政系の外郭団体というようなところが主催して行っているのが、この2000年代のニューヨークでは第三者的な機関、大学や職能団体、非営利職能団体がリードしていって、それが施策に影響を与えると。そういう特徴がありまして、私どものやっているプロジェクトというのは、非常に現代的な行政あるいは公共政策の動かし方になってきているのかな、というふうに思い始めたところです。
最後に
- 藤村
- ここで、ひとつ、まとめとして申し上げたいことは、建築の効果ということで、ひとつは多機能から縮小ということをポジティブにイメージすることができる。あるいは、段階的に考えることができるので満足度というのを徐々に上げていくことができると。あるいは展示できるということによって、関心を喚起することができると。こういういろんな効果があって、これを前向きな街のたたみ方としてご提示していくということが、この縮小する都市のマネージメントの手法としては、ひとつ効果的なやり方ができるのではないかと思っています。同時に、今日は私も木多先生も大学の組織として関わっているプロジェクトをご紹介しているわけですが、こういったことに対して非営利職能団体としての大学の可能性ということもひとつご提案を申し上げて今日の話を終わりにしたいと思います。というわけで、私のほうからは以上です。どうもありがとうございました。


- 土谷
- ありがとうございました。縮小する都市の前向きなたたみ方ということを藤村さんは言われて、前向きなたたみ方って、結構センセーショナルな言葉ですよね。でも考えてみると、日本というのは今縮小するという社会。これを前向きに捉えて、どのようにランディングさせていくのかというのは、多分このURの団地も同じことなのではないかなと思います。どのぐらい皆さんが意識しているかわかりませんけれども、日本の人口も縮小し、そして少子化になり、高齢化が進み、人口はこの2050年には8000万人に、3分の2ぐらいになるわけですよね。そういう中で、でもそれを縮小する中に前向きにたたみながらも、豊かな暮らしができるのか、そういうことを織り込んでいくのかということになります。特に藤村さんの話では、前提条件の整備の仕方がすごく大事。その前提条件をどういうふうに理解していくか、共有していくかということで、かなりいろいろなことが解けていくというようなことを僕は改めて感じた次第です。
木多先生は、今日いくつかの話をされていたので少し整理させてください。URのコミュニティ、または配棟計画が年代によってずいぶん変わって進化してきました、という話をされましたね。そこでは、その進化というのが配棟計画によってもたらされたのは分かったんですけれども、それによってコミュニティが変わっていったんでしょうか。何かうまくいっていったのか、それともどこかで壊れていったんでしょうか。先生は人と場所との関係性によって、暗黙知というか合意形成ができるんだと言われてたんですけれども、配棟の変化によって暗黙知変わってきたのか、建築はそういうのに影響してきたんでしょうか。
- 木多
- すごく重要なご質問です。配棟計画、団地のレイアウトにここまでいろいろな創意工夫がされてきたのは、基本的には時代背景があります。住棟自体が標準設計になっていたので、建築家としてはいろんなバリエーションの住棟を設計したいという意欲があるわけですが、設計は一つや二つにに決められているので、やはりそのバリエーションをいかに豊かに満たすかというところに関心がいきました。100世帯、200世帯、300世帯の団地レベルでは囲み型を半オープンにするのか、完全オープンにするのか、そういうことを考える、団地レベルでの造り手の考えと、もうひとつは街全体を作っていくための、地域全体の空間の骨格の話になっていくわけですけど、そのふたつのスケールでいろんな創意工夫がされてきて、コミュニティの変化がどうあったのかというのはなかなか難しいんです。実際、コミュニティをどう育ててきたかのフォローアップ調査をやったことがありますが、オープンな団地にはオープンの役割がありますし、少しクローズドされた団地には、そういう団地の子どもやお年寄りが安心して佇めるという役割がありますし。ですから、恐らく大きな規模の団地は、やっぱり団地の中を通り抜けて、人が通り抜けさせてあげないと街として成り立たないという責任がありますので、やっぱりやや大きめに作る責任がありますし、小さいところでは割と自由に造っていんじゃないでしょうか。そのようににサイズごとにコミュニティの質もあるような気がします。だから進化というのは、ちょっと難しいかも。恐らく前近代の時代からコミュニティというのは、かなり熟成していることだと思うので。
- 土谷
- 進化というのは、多分コミュニティに対する前提条件が変化してきて、その時代への要求もあったのかもしれないと思ったので。
今日の話は、簡単に言うと、こういう、ここの団地のように並行に配置している団地もあったけれども、だんだんと囲んだほうがいいんじゃないのとか、L字みたいになったり、二つ重ねていったらいいんじゃないとか、こういうところに何かコミュニティは生まれるんじゃないのとか、こういう話ですよね。ただ、ここで少し僕らが考えなきゃいけないのは、コミュニティが生まれるんじゃないのと言われたときに、そのコミュニティって何だろうなという話は、まだ疑問として残ると思います。それがコミュニティの進化って言ったんですけれども、言い方を変えると、コミュニティの前提条件が時代ごとに変わってきたのかもしれないですねという話でした。
もうひとつ言われてたのは、この緑道のところにコミュニティ、こういう作りに子どもたちが遊ぶのは道のところですよ、という話をされてたんですけれども、やっぱり子どもが遊ぶということは重要だったのでしょうか、ということと、最後のほうで道のあり方。道というのは、初めのうちは広場だったんですけれども、途中で道というのがもうひとつ重要な要素になってくるということで理解してもよろしいんでしょうか。
- 木多
- まずコミュニティというのは、何かを変えることによって形成されていくことだと思うんです。草をどういうふうに抜いていくか、どのようにごみを集めるか、どこの場所に駐車場を増やしていくのか。そのように空間を変えて、価値感を共有できて、私のコミュニティの定義というのも、そういう価値感、先進性を踏まえていく、社会的な大学コミュニティと私自身定義しているので、そのためにはやはり何かを変えていくことを共同作業しないといけないということですね。広場の場合は、そこに面している人を中心にコミュニティができるんですけれども、道の場合は違う世界の人と共同作業できるチャンスがあるので、やはり社会の方向というのはいろんな人と出会って、新しい価値観と出会って、新しいまちづくりの仕組みを生み出したり、いろんな技術とか考え方を生み出したりという方向に行くべきだと思うんです。なので、藤村先生がお見せいただいた、小学校区の再編も、いつまでも同じ小学校区で留まっていると、やっぱりそのカラーって、今度さらにその先に行くためには、やはり違うカラー同士が混ざり合って、だからそういう意味では、学校の再編も素晴らしいことだなと思っているんです。それをやるためには、やはり道が大事なんではないかなと思うんです。港北ニュータウンは小学校区全てを貫いているんですね。道の計画の仕方も、地形に対してすごく経済的に、いい意味で人間が歩きやすくて快適にできていますし、各学校区をつないでいるので、本当に住区を超えた大きなつながりが生まれてきていて、それで地区センターのデザイン懇というのもできたりしています。地区センターは、近隣住区3~4個のグループで生み出すような地区のサイズなんですけれども、地区センターの建物を議論しようと思ったら、やっぱり住区を超えた議論が必要で、港北ニュータウンの場合は住区を超えてつながりが生まれてきているということで、それはやはり道を共有しているということが大きいと思います。
これはまた違う事例になるのかもしれませんけれども、外で子どもが遊んでいると道沿いのまちづくりの様子を普段何気なく目にしたりとか、家に帰ってお父さんお母さんしゃべっている、あそこに何を植えたんだとか、そういうようなことを子どもも聞けるというふうに、まちづくりの空間を共有できるというのが、子どもの世代に実現されていくという意味では、遊びにとっては、そういう価値もあるのかなと考えたりします。
- 土谷
- 結構難しいですね。僕なりに整理すると、ひとつは道っていうのがいろんな人たちの出会う場所で、だから新しい情報が入ってきたりすることでコミュニティがまた活性化していく。もうひとつ、先生は「暗黙知」と言われていて、例えば青山台に自治会があって、集まると会議をけれど、もうここに長年いるとそんな難しいこと議論しなくても、だいたいそうだよねっていうのが分かるっていう、そういうのは暗黙知ですよね。
- 木多
- はい。重要なのは、その地域、場所のイメージで、こういう計画って大事とか、そこまでいけばまちづくりにつながっていくと考えています。
- 土谷
- なるほど。何がほしいかだけじゃなくて、ビジョン間で共有される暗黙知みたいなのがあるよねと。それはすごく開いているというよりは、ある種閉じた、そのエリアの中で了解されている「地の知」というのがあるんだという話と、だから広場みたいな閉じてる感じがするんですけど、道っていうのはある意味そこで遊ぶっていう場所としてもあるけど、広がっている道というふうにも今、話では聞こえたんですけども、どうなんでしょうか。
- 木多
- これは議論がしにくいお答えの仕方になるかもしれませんけど、いろんなスケールのコミュニティや暗黙知がいるんですね。本当に路地スケールの、この住棟だったら階段室があって、階段室に4階建てだったら8個の集まりがありますね。やっぱりその8個にもコミュニティや暗黙知がありますし、住棟にもあるし、NSタイプだったら向かい合ってる2棟の間にもありますし。というふうに、いろんな広がりがあって、それぞれに存在するんです。近隣住区同士をつなぐ大きな暗黙知を導くような共有できる空間だとか、そういうようなものがあんまり考えられてなかったんじゃないかと思います。
- 土谷
- いろんなスケール、暗黙知といっても10人で理解できるものもあるし、100人で共有するものもありますね。多分10人ぐらいだと何食べたいぐらいまで分かるぐらいで、100人だとそうではなくて、もう少し大きな暗黙知。そういういろんなスケールの暗黙知っていうのがあって、これがつながっていく、そういうことが必要だねと。
- 木多
- 近隣住区理論の本質は、暗黙知を継承する単位だと思ったんです。1万人や5000人で近隣住区をつくれると言ってるんですけども、それは1万人の人たちが暗黙知を継承していける単位が、それが近隣住区理論だというように。だから、近隣住区、つまり、暗黙知を継承できる、もしかしたら最大の単位かもしれないとかいうふうな、そういうふうに解釈をしています。
- 土谷
- なるほど。そうするとこの青山団地、1800戸、3000人ぐらい。3000人ぐらいだと、ある一定の暗黙知はあると。でもなかなか意思疎通ができない、ということですかね。多分これをひとくくりに3000人全部で考えるんじゃなくて、いろんなスケールに分解していって、それぞれの暗黙知があるはずだと言われて、そこには場所、人と場所という場所、つなぐもの、つまり、人と場所なので、それが広場だったり道だったり、公園だったり、この地域のこのエリアの中に、様々なスケールの場というものが必要になってきて、それが暗黙知を形成するはずだと。こんなふうに理解したらよろしいですかね。
- 木多
- そうですね。
- 土谷
- そもそもコミュニティの前提条件を、どんな風に考えるのかということを伺ってもいいですか。
- 藤村
- 先ほど、囲み配置と並行配置の話で思い出したのは、建築家の間で丹下さんから磯崎さんぐらいまでの世代というのは、広場にこだわるわけですね。丹下さんはそれをずっとやり続けて、広島平和記念公園や万博公園のお祭り広場や、最後には都庁の都庁前広場というように、そういう広場をずっと作る。だけども、日本型の広場というのは、なかなかヨーロッパのようにはうまく使われなくて、実は道のほうが馴染みが良いのではないかと黒川紀章さんは言っていて。そういう意味では並行配置のほうが、実は日本型の道が作りやすかったんだろうと私は理解しました。それと同時に、郊外住宅地におけるコミュニケーションの重さで言えば、団地の問題と先ほどの公民館の話と割と似ていまして、団地というのは都心に通勤する男性がなかなか憩えないのと対照的に、女性、団地居住する女性陣の集会というのが盛んになって、例えば雲雀丘団地では、西武線の運賃値上げに対して反対運動が起こったり非常に集会が行われたりしてコミュニケーションが活発なようですけれども、それとほぼ同じような空間が鶴ヶ島では公民館なんですね。いわゆる主婦の方々がサークル活動を通じてコミュニケーションを図っていく場所として、鶴ヶ島では戦略的に公民館を地区ごとに整備してきたという歴史があって、今それを市内に6つあるものを3個に減らそうというわけですから、相当大胆な手術を今やろうとしていて。鶴ヶ島市は今人口7万人ですから、それで小学校区が約8個あって、いわゆる近隣住区的には新しいスケールなんですけれども、今後の人口動態等を勘案して、それを4なり3なりに減らすと言っているので、ひと単位あたり、だいたい2〜3万人という少し大きなスケールになりますよね。ですからこれまでのように徒歩圏の施設のある感じが、かなりなくなってきて、遠い人はかなり歩かなくてはいけない。だから、コミュニティバスみたいなもので、モビリティを補足しないとそれが成立しないとか、あるいは機能的には今、自治会館としてあちこちに散らばっている木造の小さな100平米、200平米の施設をもう少し見直して、地域の集会は、徒歩圏にある集会所の機能はそちらで補足していこうとか、そういう総合的な施設配置をしないと、暗黙知の空間系を再編成できないんですよね。
- 土谷
- そもそも公民館って、何の機能があるのか、コミュニティが大きくなった時に、そこでも残される公民館の機能というのはどんなことだと思いますか。
- 藤村
- 団地だと、敷地内の通路や集会所で気軽に会えるんですけれども、郊外住宅地で点在するような住宅地の場合は、集まる場所は公民館のような場所なんですね。ここでいえば通路のような場所として、例えば鶴ヶ島のようなところでは公民館だったりして。趣味のサークル活動で、合唱サークルとかダンスサークル、卓球、いろんな活動があるんですけれども、そういう活動を通して日常的にコミュニケーションをしていると。そういう意味で、非常に重要な場所になっています。
- 土谷
- 今すごく重要な話で、サークル活動とか、あえて何か活動という名目を作って集まるっていう、ある意味不思議な構造。もともと自然発生的に生まれてたコミュニティに対して、新しく人が住んでくると、あえて何か活動を作って、そこへ集まっていかないと作れないということがあるのかと思うんですけども、そのあたりはどう思いますかね。
- 藤村
- それはやっぱり、埼玉県は半分旧住民、いわゆる農村のコミュニティですからそこでお祭りやら何やら伝統行事がいろいろあるわけですね。ですけど、半分の新住民の人たちは、そういうつながりはないので、必然的にテーマを与えないとコミュニティが発生しない。だからいわゆるテーマ型コミュニティであるとか、いわゆるコミュニティというよりは、いわゆるアソシエーションというような組織を作っていかないとコミュニケーションが発生しないと。そういうところがあるんだと思うんですけれども、その場所が、ああいう郊外の点々とした住宅地の中では、コンクリートの2000平米ぐらいの空間というのが、むしろ重要であったということだと思います。
- 土谷
- そのあたり少し強引にですが、団地でも同じようなことがあって。ある日突然に3000人とかがいっぺんに集まるわけですよね。ここの団地にも40年前、知り合い血縁のない人たちが集まってきて、今そしてサークル活動が起こるわけですよ。盆踊りだとか運動会も盛り上がったんですよね。でも20年ぐらい前から、それが一気に変わってくるんですね。高い年齢の人たちが現役を退いて70ぐらいになって、ちょっとケアするのが大変な状況がが20年前ぐらいから一気に起きてきます。子どもがいなくなると、コミュニティのきっかけがなくなる。そういうことが起きるんですけれども、あえてヒントとして挙げると、コミュニティの前提条件がどんどん変わってくるんだとすると、明らかにここもサークル活動そのものも、またその活動の内容も変わってこざるを得ないんですけれども、埼玉の状況も、校区の編成はまさにそういうことだと思うんですよね。つまり子どもがいなくなって。コンテンツについてはどんなことを考えるんですかね。
- 藤村
- 政策的には非常に多岐に渡っていまして、防災や社会保障という意味でも、他の部署で行われるような活動は総合的に空間戦略に結びついていないといけないんですね。ですから、単に趣味のための集会室があれば良いという話ではなくて、「地域まちづくりセンター」という市民協働のための拠点をつくって、協議会の人たちが地域の防災活動や自治会館の維持管理や、あるいはお年寄りの方々の見回り活動など、行政が従来担わなくてはいけなかったものを地域の人に維持管理してもらおうと。維持管理してもらうための組織というのは、自治会だとどうしても固まってしまうコミュニティがあるんですけれども、社会学の上野千鶴子さんは、二重権力化なんて言い方をしますけども、それとちょっとずらしてください。新しい組織を作って再編していくことが行われていて、そうすると市役所の中ではいわゆる市民協働課や厚生労働課のような部署と協働して、財政と建築だけで済む話ではなくなっていく。そのようにして総合的に空間を再編していくということが今行われていて、地域全体の空間維持管理にシフトしてきています。これが本当に進んでいくと、例えば鶴ヶ島で道路インフラの試算をすると、3分の1しか維持できない試算になっていて、そうすると道路に穴が開いても今は自分たちで直さなくてはいけないという状況になってくるわけです。そうなると、今まで以上に地域の人たちの日常的なコミュニケーションというのが必要になります。
- 土谷
- なるほど。それは団地も同じかもしれませんね。URがずっとお金を投資し続けていくわけにはいきませんし、今の話でいうと、この地域の中の医療の問題とか福祉サービス等について自分事としてどのようにコュミニティーの活動に変わっていくかということが身近なものになるのかもしれないですね。
会場の方に聞いてもいいですかね。もし実際に大阪大学の方で、ここのエリアの調査に関わった方や、あるいは住んでらっしゃる方で、今こういうことを考えていかなきゃいけないよねとか、こんなふうに変わってしまったよねということが何かありますか。なければ、柳田さん、自治会長だし、ちょっと聞いてみましょうか。 - 柳田
- そうですね、今日お話いただいたのが、すごく面白い内容でしたが、青山台団地についてはそこまで結びついてないので難しいんですけれども。 木多先生にお伺いしたいなと思ったのは、例えば箕面がやっている政策は、道を一本作って、昔はそこはお墓でしたが、それを便利に道一本つなげましょうと。そこに、例えばスターバックスがドライブスルーをやったりとか、いうような新しい店ができている。そこにインターナショナルスクールもあって賑わっています。今日木多先生のお話を伺っていて、道というのは日本人にとってすごい力を持っているんだなと。ところが今、吹田のニュータウンは完全に広場の発想で、これがどんどんどんどん崩壊していっている。スーパーももう誘致できない。そんな状況になった。北千里も、マンションもたくさんできているし、人がたくさんいるけれども、誰も北千里の駅前に集まらない。ちょっと行った箕面のところに道沿いにレストランがたくさん出来ていて、そこはすごい人がいっぱい。この千里ニュータウンは完全に広場の視点で造られた街で、正直、中心地である近隣センターっていうのは、全く機能していのではと思っているのですが、その辺りいかがですか。
- 木多
- ニュータウンを造るときは、かなり近代的な発想で、つまり、人口何人に対しては地区センターを使いなさいと。千里中央とか北千里を使って、そこには、いろんな洋服とか週に1回、月に1回買うものを設置しましょう、近隣センターには毎日買い物に行けるような生鮮食料品とか置きましょうというように、近代的な発想でグループをつくって、そこに対して生活に必要な店舗等を与えるという発想でした。しかしそれが時代を経て対応しきれなくなり、役割が中央に吸い上げられているという感覚があります。毎日買うものも近隣センターで揃わないから、南千里行けば良いとか、スーパーに行くとか。それから、本来ならまちづくりの活動は近隣住区がやってほしいという気持ちがあったと思うんです。しかし今でもNPOの人たちが集まるような場所中央に集まっています。では近隣センターで何をすればいいのか。近隣センターは様々な地権者の方が区分処理をしていて、もともとニュータウンの土地を開発する前の地主さんだったので、あまり商売しなくても良いという考えの方が多くて、それでお店の品揃えも全然揃わなかったりして、そこで受けられるサービス自体がもう全然魅力がないので行かなくなるという問題があります。あとは空間的な配置で、平等な位置に設計したいということで、近隣住区の中の真ん中に近隣センターを作るんです。意外とそれが不便だったりするんですね。図面の上で考えて、皆に平等にここに置いたらいいだろうという発想で設計しているといる中で周りにまた市街地が出来たりしてきて、そうすると、興味のある目標がずれてきてしまう、そういった立地の問題もあるかもしれません。
- 土谷
- なるほど。この点藤村さんにも伺いたいんですけど、公民館を集約して効率化する話と、実はそこで今度分散化して、いかに楽しいものを作るとか、どんないいコンテンツを作るかということが必要になるかもしれないですけど、どうですか。
- 藤村
- そうですね。都市計画のメタファーって、広場と道と、あとは庭ですよね。日本の巨大開発の研究を見ていると、高層ビルが建っていても必ず周りに緑地があって、いわゆる庭付き一戸建ての配置になりがちですよね。ですから、広場というのは馴染まず、庭のメタファーの方が馴染みがあるということはよく思うんですけれども、今日も歩かせていただいていて、果たしてここの青山台というのは、道なのだろうか広場なのだろうか、庭なのだろうかというのが、結構混ざってるなと思いながら歩かせていただきました。
- 土谷
- 庭というのはどう定義しているのでしょうか。
- 藤村
- 日本には庭園型のような庭がありますが、それが混ざってるのが日本の外部空間の設計の歴史でもあるんですけれども、今日の青山台についても、真ん中に彫刻、モニュメントと集会所があって、そこ都市軸があって。そこに必要な機能が集約するようにできていると言いつつも、結構、実際に体験してみると庭園っぽくカーブしていて独特なんです。ヨーロッパだとこういう設計はとてもですし、広場は広場で全員が面するように作るでしょうし、あるいは道ということであれば、もっとモールっぽくなくてもいいんだと思うんですけれども。当然、その時代背景の問題もあったと思うんですけれども、拡大型の社会のときには、何でも分散していくようにしないといけないという配慮があったので、当然拠点も分散化していきました。ですから、新都心を作るという考え方や、都心に対して副都心、新都心を作って拠点を複数化していくのが当時の思想だったのですが、今後縮小型の社会になっていくとこれは反転して、集約化していかないと賑わいは生まれないしコミュニケーションも発生しないような状況になっていました。その観点からすると、ニュータウン全体の中で、どこに人が集まる道を作るのかということになるんだと思います。
例えばドイツにライネフェルデというところがありますけれども、いわゆるライネフェルデの奇跡と呼ばれて、東ドイツにあったソーシャルハウジングが東西ドイツ併合時に工場が閉鎖されて、人口の減少が予測された。そのときに市長が英断をして、荒れかけていた団地のボリュームを減らしていきました。5階建てを4階建てにしたり、長い盤状の住棟をぶつ切りにしてボックス型にしていって採光を良くしたり、環境を改善することによって、奇跡的に人口を微増しました。他の街はどんどん人口が減少してしまって、空き家だらけになってスラムになって、維持費が掛かってという、ものすごく悪循環に陥っていったんですけれども、その街だけはそういうふうに回復したということで、「ライネフェルデの奇跡」と呼ばれているんですけれども。そこで行われていたことが、やっぱり道を作るということだったんですね。駅から南のほうの団地が行き着くところまで連続したオープンスペースを作り配置していって、集まる場所を作るんです。そこに人が自然にすれ違うような仕掛けをつくることによって、人と人とが出会うようにするというコンセプトがあったこと思い出します。だから、盤状のボリュームの間を道の幅だけ切って道を通していったり。
青山台に関していえば、ビスタはボックスが並んでいる南北軸で、風景としては象徴的なんですけれども、実は交通としては集会所からモニュメントに向かう東西軸なので、本当は東西軸に面してもう少し人が集まる仕掛けがあるように再編されていれば、賑わいはもっと生まれていくはずなんです。しかしだけど今は子どもの遊び場は南北軸に配置されているので、実は人の動きが分散するような空間になっている。もしその空間に手を入れることができるのであれば、そういう分散を集約していくようにコンセプトを変えていければいいんじゃないかと思うんですけれども。 - 土谷
- 縮小する時代に集約化していくというのはありますよね。かつては賑やかで子どもがいっぱい遊んでいたんだと思うんですよ、いろんな広場で。今はほとんど見かけない。
- 藤村
- でも、全くいないかと思いきや、何人か遊んでいる子どもたちがいましたよね。東京郊外の住宅地は、大阪の郊外と東京の郊外と違うなといつも思うんですけれども、東京は都心回帰してしまったので、埼玉県の団地は本当にゴーストタウンのようになっているところもあるんですね。大阪の場合は、都心よりは郊外に住もうとする人たちが多いので、意外と若年層はいるんだなという印象です。
- 土谷
- 田辺さんに伺ってみましょうか。青山台団地ので子どもがいる世帯数は、他のエリアと比べてどうですか?
- 田辺
- ニュータウン全体が高齢化していて、子どもの世帯は少ないですね。
- 柏木
- URの柏木です。数字は詳しくは覚えてないんですけれども、吹田市全域で、確か15歳以下が 15%ぐらいだったと思います。青山台で、この団地のある町ですと、7%ぐらいだったかと思います。お子さんがいらっしゃる世帯は少ないかなぁという気がします。一方高齢化率については、吹田市全体では30%も行ってないんですけれども、青山台ですと35%位になっています。そして、北千里を中心とした藤白台や古江台という住区があるんですが、そちらにつきましては今、建て替えが結構行われているっていうこともあって、小学校の児童数が結構多くなってきているという話は聞いたことがあります。一方で、建て替えたことによって、もともとの団地の広場が無くなってきていて、子どもは多いけれども遊ぶ場所が無くなってきているという課題はあるというお話を聞いたことがあります。
- 田辺
- 公社はほとんど建て替えが終わっていますので、その土地を買った会社が分譲マンションを分譲マンションを作ったりしているので、そういうところでは少し人口の構成が少し変わりつつありますね。
- 土谷
- 子どもだけが集まらなければいけない理由はないわけで、青山台に行くと、おじいちゃんおばあちゃんが元気で。今まで使われてきた施設やその空間が、今はコミュニティダイニングになるとか、そこがシニアの人たちの活性化された場所であってもいいわけで、この街にとって、コミュニティにとって必要なもの、人が集まる仕組み、仕掛けはきっとあるんだろうと思いますけどね。そのあたり藤村さん、どうですか。
- 藤村
- 理想論を言えば、東西軸をもっと活性化するというか、人が集まっていることが見えるような空間ができるといいと思うんですけれども、活性化できると良さそうだなと思ったのはピロティーですよね。これ青山台のひとつの特徴だと思うんですけれども、ピロティーが東西軸に沿って、視線が通って、かつ東西軸の交通の軸の脇にあるというのが、一つの価値だと思うので、あれがうまく使えるような区間設計がなされればいいのかなと。全部の施設じゃなくてもいいでしょうし、ちょっと休む場所があるとか、人がたまる場所があるとか、そういうことでもいいのかもしれませんけど。
- 土谷
- 人がたまる場所というのは面白いと思うんですけど。先ほどの「集約化する」ということと、それを軸上に集約していくということとあると思うんですけども、それは、1ヶ所に集めることと違って、小さな庭園をつなげていくような、そういう可能性はこの街にはありますかね。
- 藤村
- あると思いますね。そういう小さな点がひとつのルートになっていくというような。話だけ伺ってると、すごく魅力的に聴こえて、多分そういうイメージなのかなと思うんですけれども。
- 土谷
- では木多先生にお伺いしたいんのですが、我々の時代は集約化とビジネスが一緒になっていて、大きなショッピングモールや駅前のショッピングセンターが出来るところに人が奪われていくということに関して、それをどう組み替えていくかと。それももう一回再編するとか、集約化ではなくて適正規模に合わせていくような方向というものがあるような気がしますが、いかがでしょうか。
- 木多
- この30~40年ぐらいの間に確立してきた、学会の補修用修正に載るような結果理論で想定している機能役割というのは、もう今の時代、ついてこなくなってきて、今の時代に合った機能役割というものを整理し直すことが必要ですね。昔は商業やビジネス、医療というようにやってきましたけど、これからは色んなものが融合していく。どんな場が要るのかということをもう一度整理し直して、それぞれについて例えば、本当に家から出てすぐのところに、体調が悪くて足が悪くても集まれる場所というものがどういう場なのかとか、それから色んな人が集まってきて魅力があふれている場所はどういうものなのかというような、場の定義をやり直して、どういうスケールでどういう場がいるかということを、アレンジしないといけないと思いますね。
韓国は団地が日本に比べて遥かに大きいんですよ。韓国には、団地の中にあらゆるものを設けるという法律があるんですよ。お年寄りが集まる場や子どもが集まる場を設ける必要があるんです。お年寄りが体調が本当に悪くて、独りで歩けなくても、何とかゆっくり歩いて行ける場を、韓国は条例や法律で保障しているわけですね。そういう場所はは、どの時代になっても、集約化できないで分散化するんだろうなとか思いました。 - 土谷
- 分散化するのと集約化するのと両方あるでしょうと。
- 木多
- 近代的な、機能的な発想を今は捨てて、どういう場がいるのかということを、役割の再編みたいなのを考えなきゃいけないでしょうね。
- 土谷
- 藤村さんどうですか。集約化するものと、ある意味分散化なのか、補完する、そういうシステムが必要だということだと思うのですが。
- 藤村
- そうですね、理想は徒歩で歩いていけるところに何かがあるということなんですけれども、そういう密度で施設を配置してしまうと、自治体は財政破綻してしまうと。そういう矛盾があるんですよね。ですからやっぱり、鍵は「モビリティー」であって、移動することをどうデザインできるか。具体的に言うと、コミュニティバスのようなサービスを補足していくことと、施設を集約していくというのはセットになっていくのかなと思っています。これも人口3万人の高萩市なんかでいいますと、地区に1個ずつある集会所は、高齢すぎて維持ができないので、管理を放棄しますという話になっていて、市が譲渡しますと言っても、もう要りませんという話になってるんですね。やっぱり人口3万人の山間部の多い街になってくると、基本的にセンターは1個で良いと言う話になってきたりしています。ですから集会所のあり方というのがどんどん変わってきてるかなと思っていて、地域の実情に合わせて、モビリティーとセットにして、総合的に空間を見直さなくてはいけない時代に来たかなと思います。
- 土谷
- 逆に、巡回してね、それぞれの地域にサービスを提供しますという逆の発想は、ないですかね。
- 藤村
- あると思いますけどね。介護はそうなってますよね。
- 土谷
- 例えば移動図書館とかね。
- 藤村
- そうですね。カウントが上がってくると蔵書の問題も出てくるので、割と集約型になってくるのかなと思うんですけれども。防災に関していえば、避難するときに近くにあったほうが良いのかなと思うんですけれど、一方、物資が届くのは1箇所なので、結局災害があっても街の真ん中の体育館に集まるそうなんですね。ですから、結局サービスの質とのバランスで、動いたほうがいいのか、来てもらったほうがいいのかというのは、一概には割と言えないんじゃないかなという気がします。
- 土谷
- ここからは、参加者の質問を受け付けたいと思います。
- 質問者
- ツネヤマといいます。今日は団地問題の解決に興味があって参加させていただきました。コミュニティについてなんですけれども、いろんなスケールのお話がありまして、最初、見させてもらう前には、千里、北千里あたりの近隣住戸論とか、その辺の近代的なコミュニティをいかにつくるかという研究や、ヨーロッパを参考につくられているという話で、色んな工夫をされていると。それから今、モータリゼーションの利害でなかなかうまくいかなくなってきていることもあって、コミュニティについて話を伺いたいです。今日象徴的に思ったのは、木多先生の一番最初のスライドが、空堀の長屋門だったんですよね。近所の昔ながらのご近所付き合い、ということに限定して話を聞かせていただきたいんですが、住棟配置のところで一番興味を持ったのが、今日はNSの配置なんですね。NS配置の方が、朝起きて家を出たらお向かいさんに顔が合うとか、あの辺りに住んでる人たちは仲がいいとか、そういう実態があったのかどうか、そういうことを把握できてるかとか、そういうことがうまくいってるかということが、もしご存知でしたら教えていただけたらなと思います。
- UR
- URから申させていただきますと、この青山台団地でどうなのかっていうのは、具体的に聞いたというのはないんですけれども、昭和30年代の団地の生活スタイルではコミュニケーションというのを図られたと聞いてます。ただ、やはり生活様式が変わってきて、車に乗ってすぐどこかへ行くとか、コミュニケーションの場も趣味に応じて集会の場所やその地域の集会施設に行くというような形で、生活が変わってくる。また子どもも、もう小学校だとかから離れていくというような中で、コミュニケーションは少し変わってきたというのは、他の団地では聞いたことがございます。
- 自治会役員
- 私は、NSペアというところに住んでいます。しかし人それぞれタイプがありますんでね。一概にこれがいいとか悪いとか、全く言えないと思いますわ。いつも団地って言ったら、周りの人を気にせずに、私だけの世界をつくって住むのがいいという人もおりますしね、そういう人が、たまたまNSのところに行くと、もう朝から晩まで向かいの人に見られておるというような感じがして嫌やなぁという人もおりますしね、同世代の子どもさんを持ってるような若いお母さん方は、逆に、子どもたちがすぐ集まって、一緒に学校に行ったりとか、いつも目の届くところに子どもがおるとかで、非常にやりやすいなぁという人もおりますしね。ですから、団地に住んどって、これという決め付け方がなかなかできないですよね。東西型の道を造っても、利用しない人はしないし、こういう集会所に集まってお茶を飲むんが好きな人もいますしね。ピロティーなんかに、あんなところに行かずに、集会所に集まって、コーヒー1杯飲みたいという人もおるしね。なかなか画一的にどうこうしたほうがいいんじゃないかいう決め方が、なかなか難しいですね。
- 土谷
- なるほど。分かりました。今の話で、視線が気になるというのは、NS住戸は他の住戸より視線が気になることは確かなんですか。
- 自治会役員
- はい。ありますね、やっぱり。前は、例えばゴミの集め方でも、ダスターシュートというのがあって、そこを車が回って集めとったのが、今は真ん中にゴミを集約をして、それを車が回って集めるということで、真ん中にゴミ置き場ができたですね。そうすると、ゴミひとつ出すにしても、北側、南側から、みんなが見てるところで出すと。NSにすることによって、両側から見られているという感覚を持ってる人は、おりますね。特に、唯一あります、69と70のところのNSは、70のほうに建て増しができたんで、ごっつい距離が短くなっとるわけですね。ということで、もう、すぐそこに視線がいくというような感じになってますんで、気にする人、結構おりますね。
- 土谷
- 分かりました。僕は今日の話を伺っててすごく示唆的だったのは、建築家たちは、そのコミュニティの配棟というもので、そのコミュニティが変化できるんじゃないか、ということを考えていった歴史があります。でも、現実がそうだったかというのは、そのコミュニティそのものの条件が、どんどん変わっていったし、それを検証するべくもなく、というかするチャンスもなく変わり続けていったんじゃないかという気もします。ですので、そこに明確な違いがあったか、というか、そこまでの発見までは行ってなかったのかなぁと。建築計画、配棟計画とコミュニティの関係をもう少し考えなければいけないのかなと木多先生は初めにお答えいただいたかなと思います。
- 土谷
- 良い質問をありがとうございました。ということで、終わりになるんですけれども、実はこの青山台、まさに、日本のモデルというか、古い団地をどう再生していくか、最も優れた環境の団地だと思います。それをどういうふうにしていくかっていうことの知見をもっともっと集めて、いろんな、良い、前向きな実験を、縮小する社会の中での前向きな実験というのができればなぁと思います。