無印良品 キャンプ場

特集 | 2018 SUMMER
心動かされた風景を記憶するために

今日を描く

あそんだ人◯スズキマリヤ

散歩に行ったり、旅行に行ったりしたときに、
「いいな」と心動かされたた風景を、
私たちはちゃんと見ているだろうか?
パシャリと一瞬でとらえはするけれど、
それがどんな色だったか、どんな形だったか、
記録しただけで、実はあんまり
覚えていないような気がする。
だから今日は、じっと見つめて、
しっかり記憶してみよう。
散歩のおともには、
スケッチブックとペンを持って。

イラストレーターのスズキマリヤさんがお友達を誘って、気になっていた街を散歩する。色とりどりのペンを布バッグに忍ばせ、旅のおともはお手製の蛇腹スケッチブック。パノラマに広がる紙面が街歩きスケッチにぴったりなのだと言う。
まずよく見る。時には触れる。描くときには、描こうとするものとの距離の取り方が重要だと言う。花など小さなものは近くで観察しながら描く。風景や建物は描きたいサイズで見える位置まで離れて描く。描きたい大きさ、描きたいディテールが見える位置をつかんだら、ペン先を紙に落とし、描き始める。
手元と遠くに目線を行き来させ、風景を目でなぞるように紙の上に細いペンで描いていく。色を塗るときは、ほんの数箇所、小さな面積で、アクセントになるくらいに。そうやってスケッチを連ねパノラマに広がる紙面には、風景だけでなく、人物や間近に見た植物、食べ物の絵もまぜこぜに描くのがポイント。「そうすると、全体がリズミカルに仕上がるんです」

見つめて、描いて、体感する。
何気ない1日をかけがえのない記憶にする。

今日を描いた人/スズキマリヤ

家から一歩外に出ると、わたしの目は「アクティブモード」に切り替わります。町をぶらりと散策していると、「見ること」に忙しくて、なかなか前に進まないのです。案の定今回も、友人と一緒に下町をぶらぶら歩くことになったものの、先に進まないことといったら。でも、それは、わたしにとっては、いい町歩きの証拠です。

なにを見て足を止めてしまうのかというと、路地に置かれた古い自転車とその陰から伸びる生命力に溢れた雑草、住人がそこいらへんに置いている生活道具、玄関先にコンパクトに並べられた鉢植えの植物たちや、長い時間の中で退色したのであろう淡い色合いのトタンなど、人の暮らしや時間の経過を感じる何気ない風景です。

そういう見ようとしなければ見落としてしまう風景に出会うと、宝物を見つけたみたいな気持ちになって、お手製の蛇腹スケッチブックと愛用のペンをバッグから取り出します。それは、「今日」という日に見つけた景色や出会った人や物を絵として記すため。スマホを向けてシャッターを切るのと変わらないカジュアルさなのですが、写真に撮って瞬間的に記録するのでなく、時間をかけてゆっくりとその景色を体感するために、描くのです。

描く風景が決まっても、すぐに描きだすことはありません。どの角度で描こうか、どこまでを絵の中に入れようかと、描き方を考えます。立った時の目線がいいのか、座った時の目線がいいのか、好みの見え方を探って、心が決まったところで、ようやくスケッチブックを広げ、たくさんの種類の筆記具の中から、見つけた風景にインスパイアされた色のペン先を紙に落とします。

そこからは観察しながら目でトレースするように描き始めます。時に質感を目で撫でながら、時に景色が自分の中にじんわりじんわりと浸透していくのを感じながら、それを線で描いていく。そのゆっくりとした時間経過は、絵を描くという行為でしか手に入れることのできない特別なものです。

絵を描くときに意識している唯一のことは、「描きすぎない」こと。人の目って本当によくできていて、気になるものには真っ先に焦点があたるし、ディテールも鮮明に見えてきます。だから、そこを中心に描いて、それ以外は線も少なめにします。全部を完璧に描こうなんて思わずに適度に力を抜く。自分の目と感覚に委ね、素直に従うくらいが、ちょうどいいのかもしれません。

時間の流れで描かれた絵の記録が、「今日」という物語を見せれくれる

町歩きを終えて、家に帰ってから蛇腹のスケッチブックを広げてみると、そこには今日見た順に描かれた景色や建物や人物や食べ物があります。なにか特別な出来事があったわけではなく、見つけたものや出会ったものをただ順番に描いているだけなのに、そこには意図しない「物語」が見えてくるのです。

そして、ひとつ一つの絵を眺めながら思い出すのは、この絵を描いている時はこんなことを思っていたなぁ、一緒にいた人とこんなことをおしゃべりしたなぁ、こんな音が聴こえたなぁ、こんな人が通り過ぎたなぁ、っていうその時の空気感。スケッチブックを広げていたあの時間は、単に絵を描いていただけでなく、その場の気候や光や風、匂いや音なんかも知らず知らずのうちに自分の中に取り込んで、地図に「印」をつけるみたいに記憶に残していたのかもしれません。

ゆっくりと町を歩く時間がなかったとしても、電車やバスに乗っている時間や待ち合わせの隙間で「今日」を描く時間を持ってみると、なんでもない日々は、自分が思っているよりもずっとドラマチックだと気づきます。それに、絵を描くことで、今まで気づかなかった町の風景が見えてくるのもおもしろいものです。そうやって、「見る」ことが自由に、そしてより敏感になると、日常もまるで旅の途中のような感覚になります。

見つけて、じっと見ることを楽しみながら、誰に見せるためでもなく、ただ自分のために「今日」を描く。その行為は、今、目の前にある日々が、いかに変化に富んだ素敵なものかを教えてくれるのです。

Mariya Suzuki | 1987年 奈良県生まれ。イラストレーター。カリフォルニア州ロングビーチでイラストレーションを学ぶ。学生時代の課題で、街の人の絵を描いたことをきっかけに、さまざまな街を歩きながら、心に響く風景や形、人物を描くようになる。描くことは、最も「自分」でいられること。自分の顔を定期的に描く定点観測も行っている。

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