特集 | 2015 SPRING/SUMMER
自然と向き合うということ

山を食べる

あそんだ人◯霜田亮太

山が豊かに満ちる季節がやってきました。
緑の陽ざしと清冽な水の流れのなかに、いきものたちが活発にうごめき、
そのパワーが山全体にみなぎります。
山であそぶということは、その生命力をいただくということ。
今回は文字どおり、山を「いただく」外あそび。
釣りの道具と小さなコンロ、コッヘル、あと塩と味噌を
荷物にちょこっとしのばせて、
山に向かったのは、釣りを極めたセンパイと都会派なコウハイたちの男三人。
いざ、山を食べに、すすめ!

早朝出発して山へ向かう。高速道路を下りてしばらく走ると、明け方降った雨でみずみずしく潤った緑の山が見えてきた。
先に着いていたセンパイはさっそく「山を食べる」支度に入っていた。今回挑戦するのはフライフィッシング。センパイから手渡されたフライロッド(釣り竿)は細くしなやか。
フライ(毛針)はもちろんセンパイのお手製。「材料は鴨の尾の羽。本物の虫みたいって?だって本物っぽくないと魚が間違えて食べてくれないからね」。外あそびの達人は手先が器用なのだ。一方コウハイは初めて触る道具に興味津々。
まずは陸上でキャスト(フライを投げる)練習をしてから、広めの川でさらに練習。ラインが風を切る「ひゅっ」という音が気持ちよい。素振りのように投げては戻し、投げては戻し......気がつくとずいぶん時間が経っていた。
山の中へ入って、魚のいそうな沢を探す。センパイは無口になってキャストしながら川を上っていく。と、センパイの釣り竿がきゅっとしなった! コウハイ二人もだんだん釣り姿がサマになってきたが、魚はどうも騙されないようだ。
釣れないコウハイにセンパイが声をかける。「そこ、三つ葉生えてるよ」「え、どれですか?」「ほら、その足元」。スーパーに並ぶものより茎も太く葉もしっかりしている山の三つ葉をしばし夢中に摘む。これも山を食べるというあそび。
センパイが岩魚を釣り上げた。タモの中ではね回り、今釣り上げられたばかりの、まだ生きている魚のその躍動感に驚かされる。
いったん車へ戻り釣り竿を片付けると、センパイが取り出したのは、今度は食べる道具。川原へ下りていき、釣れた岩魚をナイフでさばく。神妙な面持ちでその手さばきに視線を注ぐコウハイ。「いただきます、って感じがしますね」。三つ葉はみそ汁に、岩魚は塩焼きに。では一口。「うまいっす!」「だろ」。

釣った魚は、"山の味"がする

釣り人/霜田亮太(センパイ)

渓流で釣った魚って「山の味」がするんですよ。なんて言ったら大げさかもしれませんが、今回、釣り初心者の若者を連れて行った渓流釣りで、釣れた岩魚をその場で塩焼きにして食べた時、久々にその感覚を味わったんです。食べたのは魚のはずなのに、まるで山を味わっている気分と言いますか。渓流釣りが好きな人なら、きっと、その感覚を理解できるんじゃないでしょうか。

渓流釣りは釣り糸を垂らす以前、川に入る以前に、まず山を見るところからはじまります。例えば、車で川を目指している時、山道の鮮やかな緑に思わず「きれいだなぁ」なんて声が漏れてしまいますが、釣りの視点で見るとそれだけでは終わらず、目の前の木がどんな種類なのかに注目します。杉などの針葉樹ならその山は水分を蓄えることが不得意だから、近くの川にはミネラルなどの栄養素は少ない。だとするとその川には虫も少ないし、当然それを食べる魚も少ないとわかります。ブナなどの広葉樹なら水分を蓄えやすいから、近くには栄養素がたっぷり、虫も魚も多い豊かな川がある可能性が高いというわけです。

そうやって、大自然に散りばめられた情報をひとつずつ拾い集めて分析するのは、まるで「宝探しの地図」を読み解いてるみたいなんです。


虫を観察して魚の気分を探る

木の次に情報をくれるのは、川の近くを飛んでいる虫。渓流釣りは、魚が食べる虫を模した毛針で釣るので、飛んでいる虫をじっと観察して、カバンに入れている400本近い毛針の中からどれが似ているか、相応しいかを考えます。魚には少々申し訳ないけど、こちらとしては自分の作った毛針でうまく魚を騙したいというわけです。でも魚にも好物や気分があって、それに合わないと食べてくれない。人でも「今日はあっさり和食がいいなぁ」とか、気分によって食べたいものがあるのと一緒です。もし魚がしゃべれたら、「今日は何が食べたい?」なんて聞いてみたいですけどね(笑)。

そうもいかないので、空中と水中にどんな虫がいるかをとにかくよく見る。川魚って案外頭がいいんです。的外れの毛針ばかり投げると、騙そうとしているのがばれてしまいます。釣りをしていて魚が相手にしてくれないことほどおもしろくないことはないですからね。人も必死、魚も必死です。

野生の生き物との真剣勝負って、やっぱりおもしろいんですよね。同じことは二度と起こらないから、何年やっててもちっとも飽きない。釣りの最大の魅力って、そうやって自然の生き物とじっくり向き合うことができる、ということだと思います。


山であそばせてもらう

山での釣りは私にとっては完全に「あそび」です。生きるための「漁」ではないから、普段、一人で釣りに行くときは、釣れたとしても持って帰ったり食べたりはしません。いつまでも釣りを楽しみたいし、そのために川や森や山が豊かであって欲しいと思うと、釣れた魚は川に返すようになりました。

山を見て、川を見て、目利きをしたその場所に間違いなく魚がいた。それを釣り竿を伝う感覚として確認できただけでうれしいから、釣り逃がしても構わない。全く釣れなかったとしても「あー、今日も楽しかった!」って、毎回大満足です。美しい山の景色と心地よい空気の中、豊かな川に釣り竿片手に入って、そこに生きる自然の魚と向き合うと、あらためて人間は自然に生かされているなぁ、ということを実感します。

釣りは子どもの頃、父に連れられていったのが始まりです。釣った魚をその場でさばいて食べたりもしていました。そうやって命をリアルに感じていたからこその感覚なのかもしれませんね。目の前で生き物の死を感じたり、命をいただく体験をすることは、人が生きて行く上で大切なことだと思っています。さっきまで元気でピチピチと動いていた魚が動かなくなっていく様子、さばいている手から伝わるその感覚って、ゲームとは全然ちがうんです。

そして魚を食べるときは、みんなでちょっとずつ分け合うくらいがいいんです。立った一口でも、自分で釣ってさばいてシンプルに塩焼きしたその魚は、苦みも旨味もぎゅっと濃くて、きっと山の味がするはずです。

霜田亮太 | 1969年横浜生まれ横浜育ち。幼少の頃から父に釣りや山菜取りに連れて行ってもらった経験から、いつの間にか仕事も釣り業界に。川でフライフィッシング、海ではカヤックで釣りを楽しむ。
6年前より仲間とアウトドアイベント「Outdoor Summer Jamboree ソトデナニスル?」をスタート。

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