釣りに行く
学生の頃からレコードを集めている。近頃はデータで聴くことが多くなってしまったが、それでも年に何枚かレコードが増えていて、広くない我が家はレコード音楽に埋めつくされていく。
高校一年の夏休み、アルバイトをしてターンテーブルを一台買った。二台欲しかったが、ひと夏のアルバイトでは足りなかった。ミキサーとターンテーブル二台が揃ったのは高校二年の秋。機材が使いこなせるようになった頃にはマイナーレーベルも知り、ジャンルも増え、さらに多くの音楽に興味が沸いた。
今でも好きなジャンルの新譜は聴く。好きなレーベルの音源はさらに掘って聴くし、かつて好きだったアーティストの新譜も聴いている。だけど、音楽に詳しいわけではない。ただ、こだわりが強いだけだ。
さて、釣りが好きな僕は、こう思う。釣りと音楽は似ている。知れば知るほど広さを知り、こだわりが強いほど迷いが生まれる。
仕事終わり、深夜の高速を六時間かけて走り、釣り場へと向かう。到着後すぐに釣り始める、ナイトゲームだ。そして夜通し釣りをし、朝マズメ*を迎える。移動、食事、休憩もそこそこに海での真剣勝負が始まる。疲労がないと言えば嘘になる。しかし、海は動いている。チャンスはいつ来るかわからない。季節、時間、場所、潮流、風向き、水温。魚を釣るヒントはたくさんある。
それらのヒントを探しながら、僕はルアーを投げ続ける。すべての知識を懸けて、正解だと信じ、ルアーを投げる。釣れたのではなく、狙った魚を捕りにいく。
想像のすべてを尽くしても、答えは見つからない。ルアーを通すコース、深さ、動き。一つでも合わなければ答えは返ってこない。一つひとつの動作から答えを見付けていくしか魚に近づく道はない。このルアーは浮くのか、沈むのか、浮いてから沈むのか、沈んでから浮くのか。知識の深さが試される。ルアーを操れなければ魚に近づくことはできない。
新しいルアーを手にした時は、答えが見えた気がする。タックルケースを埋めつくすルアーはレコードと一緒だ。一つひとつ、一枚一枚真剣に選ぶ。
ジャンルやアーティスト、カラーやアクション。思い入れが深くなるほど、こだわりが増していく。このルアーで釣り上げると誓い、海へと投げる。釣りが詳しいわけではない。ただ、こだわりが強いだけだ。だから僕は釣りに行く。
*日の出の前後。日没の前後は夕まずめという。
どちらも、魚が餌をよく食う時刻とされ、好漁の潮時。