富山県南部の八尾町。かつては街道の拠点として、飛騨との交易や養蚕、売薬、売薬用紙の販売による収益などで繁栄していました。そんな八尾の地では、明治初期の最盛期には「八尾山家千軒、紙漉かざるものなし」と謳われたほど、ほとんどの家庭で紙漉きが行われていたといいます。

しかし、機械漉きが始まると、八尾の和紙産業は衰退。現在も八尾の地で紙漉きを行うのは、「桂樹舎」1軒のみとなりました。そんな桂樹舎の誕生は、八尾で衰退していた和紙産業を再び盛り上げるために、創業者の吉田慶介さんが富山県製紙指導所に入ったことが始まり。

その後、吉田さんは染色工芸家の芹沢銈介氏と出会い、戦後手に入りにくかった布の代わりに和紙の型染めを共同開発。そんな吉田さんは民芸好きで、日本のみならず、アフリカや南米の紙・布・器などの収集家でした。時代を感じさせないモダン柄はそれらの影響を受けていたんだとか。

桂樹舎には、職人が1枚1枚手漉きで和紙を漉く「紙漉き部門」と、それらに型染めを施す「染め部門」があり、そのほとんどが手仕事により行われています。また、商品を企画し、加工品までを手掛けていますが、全ての工程を一貫して行う工房は、全国探しても他にないかもしれません。

なお、型染めは、色をつけない部分に糊を置いて染め、水につけて糊を落とすという作業を繰り返します。そのため、水に溶けないシワのある和紙を開発。使い込んでいくごとに柔らかく艶が増します。また、独自の防水・防汚加工を施しているので、耐久性を兼ね備えています。