商品企画とキャンペーンは一体のものとして生まれた
今日は、無印良品というブランドが、どのようにして生まれ、発展し、今日を迎えたのか、その流れについて、私が携わった十数年間の広告の仕事を中心に、お話させていただきます。
時が移り、人も変わるなあ、と今感じています。ここにいらしたたくさんの若い皆さんの中には、この場所が(*西武ギャラリー)が「セゾン美術館」だったことを、ご存知ない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私は今、あるシーンを思い出しています。30年ほど前、私が40代で一番仕事がおもしろくて動きまわってた頃、この建物の下にカフェがありました。そこで、西友の宣伝部の課長さんと堤清二さんの3人で、コーヒーを飲みながら、お話をしてたんです。そのテーマは、プライベート・ブランドをどうやってつくり、発展させていくかという、かなりシリアスなもの。ですが、お店の中には、午後の光がきれいに入っていて、静かに、いろんなお話をしたことを覚えています。
その場にはいらっしゃいませんでしたが、私の敬愛する仕事仲間だった田中一光さんも、同じように堤さんの依頼を受けていました。田中さんと私は、西友のいくつかのプライベート・ブランド商品を試行する企画にとりかかっていました。優れた商品をどれくらい安く消費者に提供できるか、商品部の方のお話の中から採り出し、キャンペーンのポスターに展開したりしていたんです。
プライベート・ブランドというのは、スーパーマーケットが単に生産者によってつくられたものを直接販売するだけではなく、自分たち自身が商品企画をきちんとしていく事を志すもの、と私たちは考えていました。そして、その大きなブランドのくくりを、どういう考え方で展開していこうか、という相談に入っていたんです。
その頃、つまり1970年代後半から1980年代初めにかけては、海外ブランドとのライセンス・ビジネスが盛んになっていました。それはたとえば、ポロシャツにひとつのマークが付くことで、そのポロシャツが、実際の正当な価格以上の付加価値を備える、むしろそれが目立ち過ぎる、といったことです。私と田中一光さんは、そういった状況を、いつも話題にしていました。健康なものの成り立ちとは、どういうことだろうか、と。
ですから、新企画のお話をいただいた最初から、クリエイティブのチームは非常に興奮していました。この企画では、私たちがその時代に生きていて感じている批判や不満を、きちんと表現できるモノづくりを可能にしてくれるかもしれない。そういったわけで、そのコーヒータイムの次の週にはもう、さっそく、ブレーンストーミングに入っていました。
