研究テーマ

古くて新しい酒、煎酒(いりざけ)。

新酒、古酒、清酒、濁り酒、地酒、菊酒、白酒…お酒にはさまざまな種類があり、それぞれに味わい深いものです。季節でいけば、この時季に多く登場するのは、付き合い酒、深酒、迎え酒、寝酒といった類のお酒でしょうか? さて、今回ご紹介するのは、古くて新しい酒、煎酒(いりざけ)。といっても、アルコール飲料ではありません。

醤油以前の調味料

煎酒(いりざけ)とは、読んで字のごとく、煎った(煮詰めた)お酒。日本酒に削り鰹節と梅干しを入れ弱火でとろとろと煮詰めたもので、室町時代末期に考案されたといわれます。江戸時代中期まで広く用いられ、醤油が希少品だった時代の日本料理にはなくてならない重要な調味料でした。
元禄9年(1696)刊の養生書『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』にも「熬酒(いりざけ)」の記述があり、「近世庖丁人が作っていること、わが国に来ている中国人によれば中国にはこのようなものはないと言っていることが記されている」(女子栄養大学・島崎とみ子教授)そうですから、日本で独自に考案された調味料なのでしょう。そんな煎酒も、醤油の普及とともに次第に作られることが少なくなり、いつの間にか姿を消していきました。

煎酒の復活

長らく途絶えていた煎酒ですが、江戸のヘルシーなスローフードを支えた調味料としてそのおいしさが見直され、このところ市場にも出回るようになってきました。
東京では江戸の食文化を今に伝える銀座三河屋あたりが有名ですが、地域おこしが煎酒の復活につながった例も。島根県益田市では、室町時代に益田市一帯を治めていた益田氏の記録『益田家文書』をもとに、2008年、「益田『中世の食』再現プロジェクト」がスタート。その文書の中には、益田家19代当主の藤兼が毛利元就を接待した宴席での献立が記されていて、「これを再現する上で、調味料である煎酒が不可欠だった」といいます。歴史を掘り起こす作業の中から、昔の調味料が注目され、地域の宝探しに。2009年には煎酒を含めた「中世の食」が完成し、注目の集まった煎酒がやがて商品化(2010年)されることになったのです。

煎酒を楽しむ

煎酒のお味は…鰹節の旨みがギュッと濃縮されたところに梅干しの酸味とほどよい塩気が加わって、醤油よりも穏やかでさっぱりした風味。味加減のことを「塩梅(あんばい)」と書くように、梅の酸味と塩分が絶妙なバランスです。
素材の味を邪魔せず、旨みと爽やかな酸味が加わりますので、白身魚のお刺し身や冷奴、おひたし、炒め物、煮物、酢の物、焼き魚、卵かけご飯、カルパッチョ、和風パスタ、焼きナス、ローストビーフのつけだれ、鍋料理のつゆ…と、なんでもござれ。生野菜をあえるとノンオイルドレッシングのサラダという感じですし、煎酒にゼラチンをふやかして溶かし込みジュレにするという人も。旨みがあるので塩分が控えめでもおいしく感じられ、脂肪の摂り過ぎがいわれる現代人の食卓にこそ、適した調味料といえそうです。

手作りの煎酒

「いり酒を 鍋にのまれて 叱られる」━━煎酒を作るときの失敗を詠った川柳です。弱火でとろとろ煮詰めるわけですから、ついうっかりして目を離すと、水分が蒸発しすぎて鍋を焦がしてしまうこともあったのでしょう。とはいえ、材料はお酒と鰹節と梅干しだけと、いたってシンプル。時間をかけて煮詰める手間さえ惜しまなければ、そうむずかしいことでもなさそうです。というわけで、煎酒の味を知ってしまった人には、手づくり派も増えているとか。ネット上で検索すれば、レシピも簡単に手に入ります。
梅干しの量や鰹節の量はレシピによってさまざまですが、弱火でとろとろと半量になるまで煮詰め、冷まして漉すだけ。冷蔵庫で2週間程度はもつそうです。注意したいのは、当時使われていた梅干しは、現代のような減塩タイプのものではないということ。できれば、昔ながらのしょっぱい梅干しで。レシピによっては塩を加えるようになっているのも、その辺を考慮してのことでしょう。
実際に作ってみると、作業の間、キッチン中に鰹節の芳香が満ちてきて、それだけで豊かな気分になれます。醤油よりもやさしく、旨みは立っているのに鰹だしよりもまろやか。漉した後に残る梅干しや鰹節も、お酒の「あて」や常備菜としても楽しめます。

年末年始と、忙しいこの時季。だからこそ、古くて新しい煎酒を、ご家庭の定番調味料に加えてみませんか? お醤油に比べれば少々高めですが、お鍋の季節に活躍すること間違いなし。鍋用、年越し蕎麦用など、用途別の麺つゆを何種類も買って冷蔵庫の扉をいっぱいにするよりは、はるかに経済的かもしれません。ご馳走疲れの胃にやさしいメニューも、煎酒があれば簡単に作れます。ちょっとハードルが高そうに思える手作りの煎酒も、お節作りで台所に立つ傍らなら、負担なくできそうです。

みなさんは、煎酒を使われたことがありますか? ご感想をお寄せください。

研究テーマ
食品

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