MUJIキャラバン

鳥取民藝運動と、因州中井窯

2012年11月30日

きちんと整理整頓された焼成前の器に、

きれいに並んで天日干しされている陶土、

そして、しっかり組まれたレンガや薪に囲まれた登り窯。

おもわず聞いてしまった、「A型ですか?」という質問に、
「いえ、B型ですよ」と笑顔で答えてくださったのは、
因州中井窯の3代目、坂本章(あきら)さんです。

この因州中井窯の代表的器として知られるのが、こちらの「染め分け皿」。

ひしゃくで順番に釉薬を掛けていくのですが、

このように3色の釉薬を均一に施すのは、技術はもちろんのこと、
坂本さんのきっちりとした性格のなせる技だなと感心しました。

それにしても、この鮮やかな色合いと、大胆なデザインは
これまで見てきた焼き物にはなかったものです。

すると、
「うちの窯の特徴は、"プロデューサー"がいたことなんですよ」
と、坂本さんが因州中井窯の歴史について教えてくれました。

因州中井窯は、もともと農業や教員など別の道を歩んでいた坂本さんのおじいさまが、
焼き物に興味を持ち、近くの牛ノ戸(うしのと)焼の窯場を訪ねては仕事を教えてもらい、
昭和20年に開窯。

そして、その後、因州中井窯を語るうえでは、欠くことのできない
3人のプロデューサーとの出会いが各々の時代にありました。

まず、1人目のプロデューサーが
鳥取民藝運動の指導者、吉田璋也(しょうや)氏。

鳥取で耳鼻科医を営む吉田璋也氏は、
民藝運動の創始者・柳宗悦に強く共鳴し、
地元鳥取周辺の民陶であった牛ノ戸焼の窯場に足繁く通い、
現代の生活に見合う器類を作るように提案、指示します。

そして、それらをすべて引き取って販売する「鳥取たくみ工芸店」を
昭和7年に立ち上げました。
これは民藝品流通の最初の事業であり、日本初の民藝店となりました。

さらに販売を拡大するために、1年後の昭和8年には、東京銀座に「たくみ」を創設。
そうして、吉田璋也氏は商品補充のために、坂本さんのおじいさんに、
中井の地で、生業としての焼き物づくりを奨励し、
製品化した物はすべて「鳥取たくみ工芸店」で販売する道を与えました。

ちなみに、この「3色染め分け皿」の原型は、
鳥取市郊外にある因久山(いんきゅうざん)窯にあったそうですが、
吉田璋也氏がそれを牛ノ戸焼で作らせ、さらに中井窯でも作らせたものなんだとか。

今でこそ、デザイナーとのコラボ商品や、
作り手以外のプロデューサーが生み出した器などが出てきていますが、
昭和初期のこのような動きは、先駆けでした。

そして、これこそが"鳥取民藝運動"すなわち、
"新作民藝運動"の始まりでもありました。

柳宗悦氏の唱えた民藝運動は、無名の職人による民衆的美術工芸の美を発掘し、
世に紹介することに努めたことに対して、
吉田璋也氏の新作民藝運動は、単に発掘してそれを広めるだけにとどまらず、
自身がデザイナーの役割を担って、新しい民藝品を生み出していったのです。

「作り手でもなくて、年上の陶工たちに指導できたのは、
吉田璋也先生の人間力と財力があったからだと思いますね」

吉田璋也氏は焼き物に限らず、鳥取の木工、染織、金工、竹工、漆工、和紙…
と様々な分野で、この土地の材料を生かした新しいモノづくりを指導していきました。

そして、後に、作り手にとっての物の勉強の場として「鳥取民藝美術館」(写真左)を、
器を実際に使ってみせる「たくみ割烹店」(写真右)も創設。

※ちなみに、吉田璋也氏が北京料理をアレンジした「牛肉のすすぎ鍋」は
しゃぶしゃぶの原型になったものなんだそう。

「見る、使う、食べる」の三位一体論を推進したことで
鳥取の民藝運動は躍進していったのです。

続いて、2人目のプロデューサー、
手仕事フォーラム代表で、鎌倉の「もやい工藝」店主の久野恵一氏。

坂本さんはどこか別の窯で修業をするのではなく、
お父様の仕事を見よう見まねで作っていたので、
いい焼き物を作りたいと思っていたものの、
何がいいか、悪いかが分からない状態だったと当時を振り返ります。

しかし、30歳の時に転機が訪れます。
坂本さんにとってのプロデューサー、久野恵一氏との出会いがありました。
久野氏は10年以上にわたり、坂本さんたちの窯へ通って、指導を続けたそう。

「久野さんからは、形よりも縁の作りや削りの仕方に気を配れといわれましたね。
例えば、コーヒーがすっと口に入ってくる形状だとか」

坂本さんのおっしゃる通り、坂本さんの作ったコーヒーカップの口元は
上唇にとてもフィットして、飲みやすいのです。

また、久野氏のつながりで、お父様にもかつて指導した、
柳宗悦氏の息子でプロダクトデザイナーの柳宗理氏に、
坂本さんも教わることになったそう。

これが、3人目のプロデューサーである柳宗理ディレクションの
2色の染め分けと、縁の釉薬を抜く技法を組み合わせたお皿です。

吉田璋也氏、久野恵一氏、柳宗理氏というプロデューサーとともに
成長してきた因州中井窯。
工房の隣には、展示場兼ショップがまもなくオープンするそうです。

「今後も誠実なモノづくりを大切にしたい」

最後にそう語ってくださった、坂本さんの作る器が一堂に会する場所は
きっと素晴らしく、そして整然と置かれているに違いありません。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

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